足利尊氏 その後の家系図に見る子孫と苦労

 

徳川家だけでなく、足利家も将軍職を世襲した家です。

ただ、足利尊氏以外で知られる足利家の将軍といえば、

3代将軍足利義満、8代将軍足利義政あたりでしょうか。

足利家の血統がどう続いたのか辿って見ましょう。

 

足利尊氏の家系図

まずは、足利尊氏の家系図をみてみましょう。

2系統が、現在にまで続いています。

本文と家系図を合わせて確認すると分かりやすいかもしれません。

家系図

 

将軍家足利氏滅亡で二系統残った足利氏

まずはざっと将軍家とその他の系統に分けて足利家のその後を見てみます。

足利将軍家のその後

徳川幕府などと比べると政権に弱さはありましたが、
足利尊氏は室町幕府を創設し、
全国の武家の頂点に立った天下人です。

それに続くのが代将軍義詮(よしあきら)、
金閣寺を作った代将軍義満、銀閣寺を作った代将軍義政
そして室町幕府最後の将軍は第15代の足利義昭(よしあき)です。

彼には二人の男子がいましたが、
僧侶になって子がなかったために、
足利将軍家の直系はそこで断絶しました。

足利将軍家自体は室町幕府消滅と共に終了したのです。

残った足利家2系統

しかし、室町幕府がなくなった後も
現在にまで続く足利氏が2系統あります。

一つ目が尊氏の三男・関東で初代鎌倉公方となった
関東足利氏の足利基氏(もとうじ)の系統

二つ目が室町幕府11代将軍足利義澄(よしずみ)の二男
「 堺公方 」、「 平島公方 」と呼ばれた足利義維(よしつな)の系統です。

両系統とも尊氏の子孫です。

鎌倉公方は京都を離れて
半分独立政権として関東に本拠をおいていましたし、
足利将軍家と戦ったこともある家系。

そのため気分的には平島公方となった
足利義維の系統のほうが将軍家に近いイメージです。

しかし、実際は足利将軍家が断絶した時点で、
関東足利氏のほうが「 宗家 」の扱いを受けるようになりました。

 

関東足利氏と現在の子孫

残った二系統のうち宗家として扱われるほうになった足利家です。

古河公方足利家から禄はなくとも格式ある喜連川家へ

第4代鎌倉公方・持氏は、
室町幕府第6代将軍の義教(よしのり)の幕府軍と
関東管領・上杉軍に負けて鎌倉府が滅亡となりました。

子の成氏(しげうじ)の時に第5代鎌倉公方として復活しますが、
やはり幕府や関東管領と争いが絶えず、
最終的には下総の古河(現在の茨城県古河市)に移り、初代古河公方となりました。

その後、第5代の義氏には男子がなく古河公方職は自然消滅。

しかし、豊臣秀吉が古河公方家の娘の血筋を守ってやり、
喜連川の所領を与え、足利家は喜連川家となりました。

徳川家康が江戸幕府を開いた後も喜連川藩として存続。

石高は旗本並みでしたが、格式だけは十万石の大名並みという破格待遇です。

ちなみに赤穂浪士に討ち取られた吉良上野介(きらこうずけのすけ)は、
この喜連川家の出身。

やがて明治時代になり、
喜連川家は足利氏に姓を戻し、
華族制度の高い身分に列せられました。

現在に至る子孫

高い身分を保証された足利家でしたが、
先祖の尊氏が南北朝時代の後醍醐天皇と対立したことが
「 皇室に弓を引いた逆賊 」として
戦前・戦中は非常に肩身の狭い思いをしたそうです。

26代である足利惇氏(あつうじ)氏は東海大学の学長をされましたが、
学生時代に学習院で昭和天皇と同窓だったために、
苦労もあったということです。

現在足利家の当主は尊氏から27代目となる足利浩平氏。

惇氏氏の甥にあたり、
造形美術関係の会社の代表取締役をされています。

 

平島足利氏と現在の足利氏

宗家とならなかった足利家は苦難の続く家系となりました。

平島公方足利家と冷遇された年月

室町幕府第11代将軍・義澄の子
足利義維(よしつな)は次期将軍として新政権樹立を目指しました。

しかし彼の支持者であった管領の細川晴元の裏切りで、
義維は阿波国(現在の徳島県)へ逃げました。

そこの平島庄に居を構えたために平島公方と呼ばれ、
平島公方の血統は阿波国を治めた戦国大名の三好氏の庇護を受けます。

三好氏は義維の子の義栄(よしひで)を
室町幕府14代将軍として擁立しました。

が、それ以降の平島公方足利氏はただ存続するだけで、
江戸時代には地位も所領もなくなりました。

家名は足利から平島に改姓となり、
平島家は徳島藩から冷遇されました。

のち、1805年に平島家は阿波を出て京へ移り、
再び足利を名乗りますが、
禄もなく、足利氏に関わる寺院からのわずかな援助で生計を立てました。

明治になっても、華族になれず、
また徳島藩から脱藩していたこともあって士族にもなれず、
平島公方足利氏の一族は平民として扱われました。

鎌倉公方系の足利家と比べると大きな差です。

現在にいたる子孫

その後、平島公方足利氏、
第28代目子孫の足利義弘氏は
大学の教員として国際福祉論の指導をされていたということです。

 

まとめ

このように、先祖は同じ足利尊氏ですが、

足利家は二系統が存在します。

二つの系統はお互い関わり合うことなく現在に至っているのでした。

 

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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku 明石 白(akashihaku)Facebook https://www.facebook.com/akashihaku