小さな大名から中国地域ほぼ全域を支配した毛利元就の「三本の矢の教え」は有名です。
まさにその3本の矢のうちの1つ、毛利元就の三男が小早川隆景。
そして豊臣秀吉の軍師黒田官兵衛は天下人を支える天才。
天才は天才を知ると言いますが、小早川隆景と黒田官兵衛はお互いを認め合った関係でした。
今回は小早川隆景と黒田官兵衛との関係、エピソードについてお伝えします。
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小早川隆景と黒田官兵衛との関係、エピソード
黒田官兵衛との出会い
小早川隆景は敵対的関係であった豊臣秀吉との関係を強固にし、五大老の一人にまで登りつめます。
敵でもあった豊臣秀吉と良好な関係を構築できたのは、黒田官兵衛の存在があると言われています。
その二人の出会いが本能寺の変の直後でした。
いわゆる豊臣秀吉が10日間で約200km進軍したと言われる「中国大返し」を実現させた、そのタイミングです。
当時、織田信長の命令により、豊臣秀吉と黒田官兵衛は中国攻めを実行、備中高松城の戦いにて毛利家と小早川家との戦いの最中でした。
しかし、本能寺の変が起き、豊臣秀吉は明智光秀を討つため、休戦を申し出ます。
その使者が黒田官兵衛。
そして毛利家を支える中核、小早川隆景が対応します。
これがお互いの最初の出会いでした。
明智光秀を討つため休戦を申し出た黒田官兵衛を殺すこともできたが、小早川隆景は受諾。
黒田官兵衛は、さらに
と願い出たと言われています。
小早川隆景は黒田官兵衛の申し出を受け、毛利家の旗を貸し、明智軍の戦意を失わせることに成功します。
明智光秀を討ち、天下を手中にした豊臣秀吉は、小早川隆景と黒田官兵衛のこの和解劇を評価します。
その後豊臣秀吉との関係性は密となっていきます。
小早川隆景の先見性
前述のエピソードで特筆すべき部分は小早川隆景の先見性です。
当時は織田信長亡き後、天下を握る人物として、明智光秀や柴田勝家など多くの大大名がいました。
しかし、小早川隆景は豊臣秀吉が天下を握る可能性が高いことを見抜いていたかのようです。
もちろん、優れた黒田官兵衛を家臣としていることが、豊臣秀吉の時代が来ると予感したのかもしれません。
豊臣秀吉が明智光秀を討った後も、秀吉や黒田官兵衛と共に天下を取りに行きます。
さらに豊臣秀吉との関係が強固となり、最終的には五大老の一人にまで出世します。
天才は天才を知る
小早川隆景と黒田官兵衛はお互いを十分に認めていたと言われています。
その一つとして有名なエピソードがあります。
お互い共に戦を続ける中、小早川隆景は黒田官兵衛に一つアドバイスをします。
あなたは才智がはなはだ鋭く、一を聞いて十を知る。
それに比べると私は愚鈍で、一を聞いてもその一にひっかかる。
そこで、長く思案して決断するようになった。
と語ったと言われています。
年齢も上だった小早川隆景は黒田官兵衛の能力と弱点をしっかりとアドバイスしています。
一方、小早川隆景は黒田官兵衛の恐ろしさを理解しており、家臣には自分の死後も黒田官兵衛に土地を貸すなと厳命しています。
戦国時代では土地を貸すことで、そのまま領地を奪われることが度々発生していました。
天才は天才を知ると言われます。
豊臣秀吉も、自分以外で天下を治められるのは、小早川隆景か黒田官兵衛だと語ったと言われています。
きょうまとめ
小早川隆景と黒田官兵衛の関係について見てきました。
小早川隆景と黒田官兵衛について簡単にまとめます。
② 小早川隆景の先見性、人を見抜く力
③ 小早川隆景と黒田官兵衛はお互いを認め合っていた
④ 豊臣秀吉も小早川隆景と黒田官兵衛の能力を認めていた
と言えるのではないでしょうか。
小早川隆景については、他にも色々な記事があります。
よろしかったらご覧になってみて下さい。
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