作家の血を受け継ぐ太宰治の娘たち|大成へ導いたのは母の強い背中?

 

戦前~戦後にかけて、『走れメロス』『人間失格』『津軽』『斜陽』など、現代でも読み続けられる作品を多数生み出した

作家・太宰治

彼は作品だけでなく、作家としてのDNAも現代へと残しています。

太宰には津島裕子さん・太田治子さんという、作家となった娘が2人いるのです。

彼女たちがまだ年端もいかないころに亡くなってしまった太宰。

この出来事は2人の娘にどのような影響を与えたのでしょう。

また太宰の血を引く彼女たちはどのように、才能を発揮していったのでしょうか。

今回は太宰の血を引き、見事作家として大成してみせた2人の娘の事情に迫っていきましょう。

太宰治の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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津島裕子さん

太宰治

太宰治
出典:Wikipedia

1947年、父・太宰治が入水心中する前年に、妻美智子さんとの次女として生まれた津島裕子さん。

世界を舞台に活躍した津島裕子さん

作家としてデビューしてからは、

・『光の領分』 野間文芸新人賞

・『夜の光に追われて』 読売文学賞

を受賞するなど、才能をいかんなく発揮。

代表作と呼ばれる『火の山-山猿記』は、2006年から放送されたNHK連続テレビ小説『純情きらり』の原案ともなりました。

ここまででも彼女の経歴が華々しいことはわかりますが、なんといっても素晴らしいのはその作品が7ヵ国語以上に翻訳され、世界中の人に読まれていること。

フランスのパリ大学で日本の近代文学の講義を任されたほか、世界各国で講演も行っています。

2007年には韓国の作家・申京淑しんぎょんそくさんとの共著『山のある家 井戸のある家』も発行し、かなりグローバルな活動を展開した、日本が世界に誇れる作家のひとりです。

ちなみに申京淑さんとの手紙のやりとりをもとにしたこの『山のある家 井戸のある家』は、裕子さんが太宰のことを語った数少ない作品でもあります。

父のことをあまり語らない裕子さん

前述の『山のある家 井戸のある家』で裕子さんは太宰についてこう語っています。

父についても、どうか、だれにも聞かれないように、といつも願っていました。父はいませんと言えば、それはなぜ、とひとは聞きます。事故で死んだ、と答えれば、なんの事故、とさらに聞かれます。そうなると返事に困ってしまいます。「自殺」とはどうしても自分の口から言うことはできませんでした。今でも言いたくない言葉ですが。そのうえ、よその女のひとと一緒に死んだなどとは、どうしてもひとには知られたくないヒミツでした。

(出典:山のある家 井戸のある家)

また裕子さんは太宰と比べられることがあると、「私にとって親は母だけ」と言及しています。

生まれて間もなく、父親が母以外の女性と心中してしまったことは、彼女にとっては掘り返されたくない生い立ちだったのです。

女手ひとつで自分を育ててくれた母美智子さんの苦労を目の当たりにしての想いもあったのでしょうね。

「父親譲りの才能」などといわれることも、さぞかし複雑なことだったでしょう。

2015年からは父・太宰をテーマにした作品の執筆にも取り掛かろうとしていたそうですが、残念ながら2016年2月、裕子さんは68歳にて生涯を終えました。

彼女が最期に何を語ろうとしていたのか、気になるところではありますね。

 

太田治子さん

太宰と愛人関係にあった太田静子さんとの間に生まれた太田治子さんも、津島裕子さんと同じ1947年生まれ。

同い年の2人が揃って作家の道を歩んでいることには、不思議な縁を感じますね。

また太宰に対しては否定的だった裕子さんも、異母妹である治子さんの存在に対しては肯定的でした。

美術に関連した作品が定評を集める太田治子さん

治子さんの代表作は1986年著の『心映えの記』。

この作品は第一回坪田譲治文学賞を受賞し、直木賞の候補にも挙がっています。

また母静子さんの影響で絵画にも理解があり、1976年から3年間は、NHK番組『日曜美術館』にも出演。

『絵の中の人生』『恋する手』といった、ダ・ヴィンチやゴッホなどの名画をテーマにした作品も人気です。

太宰と母の関係にも前向きな治子さん

太宰のことをあまり語らなかった裕子さんに対し、治子さんは比較的前向きな印象で彼のことを語っています。

幼少期に母から、まるで童話の登場人物かのように「太宰ちゃま」と、父のことを聞かされ、入水自殺にしても物語のなかの出来事のように、「女の人と水の中に入って死んじゃったの」と、悲しくならない伝え方をされていたとのこと。

太宰の妻になれなかった静子さんは生涯未婚のまま、貧乏にも屈せず、女手ひとつで治子さんを育て、治子さんもその強さに感心する様子を見せています。

だからこそ、太宰に対しても否定的ではないのでしょうね。

1947年に発表され、ベストセラーとなった太宰の『斜陽』は、静子さんの日記を題材に執筆されたもの。

この作品が世界的に読まれることで、未婚の母に対する理解が広まればと治子さんは思っているようです。

 

きょうのまとめ

太宰治の才能を受け継ぐ津島裕子さん・太田治子さんの活躍はそれぞれに華々しいものがありました。

父親としてはたしかに破綻していたのかもしれませんが、2人の才能ある文人を世に残したことは太宰の功績のひとつだといえますね。

最後に今回のまとめをしておきましょう。

① 津島裕子さんは世界を舞台に活躍する作家

② 太田治子さんは美術への理解が深く、名画をテーマにしたエッセイや小説が人気

③ 太宰との関係に裕子さんは否定的・治子さんは肯定的

父との向き合い方はまったく違った2人ですが、それぞれの語る内容から共通して感じられるのは女手ひとつで育ててくれた母への敬意。

母親の強い背中を見て育ったその境遇が、2人を大成へと導いたのかもしれません。

 

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