小早川隆景とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

豊臣秀吉の五大老の一人にまでのし上った小早川隆景。

まさに父毛利元就の「 三本の矢の教え 」の通り、本家の毛利家を支える大黒柱として活躍しました。

豊臣秀吉からも天下を自分以外で治められるのは黒田官兵衛か、小早川隆景のいずれかだと語ったと言われています。

小早川隆景とはどんな人物だったのでしょうか。

どうぞ最後までご覧ください。

小早川隆景はどんな人?

  • 出身地: 安芸国(広島県)
  • 生年月日: 1533年
  • 死亡年月日: 1597年(享年 65歳)
  • 豊臣秀吉の五大老の一人。「 三本の矢の教え 」の三男でも有名

小早川隆景 年表

西暦(年齢)

1533年(1歳) 中国地方の有力武将毛利元就の三男として生まれる。

1544年(12歳) 竹原小早川家の養子となる。木村城に入る。

1550年(18歳) 本家の沼田小早川家の当主・繁平の妹と結婚し家督を継ぐ。高山城主となる。

1552年(20歳) 新高山城を築城し、本拠にする。

1555年(23歳) 村上武吉の水軍を味方につけ厳島の戦で活躍。実家の毛利氏に勝利をもたらす。

1563年(31歳) 本家当主の兄毛利隆元が急死。本家はその息子毛利輝元が継ぐが、次男元就がそれを後見することとなる。

1571年(39歳) 父毛利元就が死去。本家の毛利輝元の補佐役となる。

1576年(45歳) 毛利水軍は第一次木津川口の戦いで織田水軍を破り、石山本願寺の補給支援に成功する。

1582年(50歳) 本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれる。毛利氏は羽柴秀吉と講和を結ぶ。

1585年(53歳) 秀吉の四国攻めでは伊予国の河野通直を降伏させるなど貢献。戦後は伊予国一国35万石を与えられる。

1587年(55歳) 秀吉の九州攻めでも貢献。戦後、筑前国と筑後国、肥後国の一部、合計37万1千石に転封。筑前国名島城主となり、城を大改修。

1592年(60歳) 朝鮮への侵攻(文禄の役)に参加し、貢献。

1593年(61歳) 秀吉の五大老のひとりとなる。秀吉の養子羽柴秀俊(小早川秀秋)を養嗣子として迎え、秀秋と名乗らせる。

1595年(63歳) 家督を養子の小早川秀秋に譲り、三原城に隠居。秀吉から5万石の隠居料を拝領。

1597年(65歳) 三原城で死没。

秀吉の五大老まで登りつめた小早川隆景!

本家の毛利家はもともと織田信長、豊臣秀吉と戦をし、敵対関係にありました。

本能寺の変で織田信長が亡くなった最中も毛利家、小早川家は豊臣秀吉と戦の最中でした。

豊臣秀吉は明智光秀征伐のため、当時大黒柱であった小早川隆景と和睦。

この和睦をきっかけに豊臣秀吉との関係を改善させ、豊臣秀吉の家臣として活躍します。

豊臣秀吉の軍師、黒田官兵絵衛とのつながりも深かったと言われています。

天下人となった豊臣秀吉の信頼も厚く、その後五大老の一人として活躍しました。

 
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後継ぎの養子小早川秀秋が関ヶ原の戦いを左右した!

小早川隆景は豊臣秀吉の養子であった秀秋を養子に迎えます。

この秀秋はその後小早川家の後継ぎとなり、1600年関ヶ原の戦いが起こります。

当時、毛利家と同じく西軍として参加しますが、徳川家康と内通し、東軍に寝返ります。

この寝返りがきっかけとなり、関ヶ原の戦いは東軍、徳川家康勝利となりました。

しかし、西軍を裏切ったことから家臣の逃亡もあり、酒の飲み過ぎから死去。

関ヶ原の戦いから2年後のことでした。

後継ぎがいなかった小早川家はそのまま断絶という悲運な最後を迎えました。

歴史を大きく左右した小早川秀秋。

小早川隆景が生きていたら、歴史は変わっていたかもしれません。

 
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織田信長も恐れた超強力水軍!

小早川隆景は強力な水軍を誇っていました。

瀬戸内海の領域を掌握、毛利水軍、小早川水軍は織田信長も恐れていたと言われています。

特に大活躍したのが、「 厳島の戦い 」。

当時の四国地方の大名陶晴賢(すえ はるかた)と戦いで大活躍。

特筆すべきは小早川隆景の知略です。

当時日本最大海賊、村上水軍を味方につけ大勝利を収めました。

結果、毛利水軍、小早川水軍は中国地域制覇を果たす原動力となりました。

その後、豊臣秀吉の九州攻めにも参加し、十分に水軍の力が発揮されています。

小早川隆景は当時日本一の水軍を指揮する一人となっていたのです。

 
別名、浮城!小早川の超強力水軍を率いる三原城!?

きょうのまとめ

最後までお読み頂きありがとうございました。小早川隆景についていかがでしたでしょうか。

小早川隆景とは?

①豊臣秀吉の信頼は厚く、五大老にまで登りつめた

②養子の小早川秀秋は関ヶ原の戦いで徳川家康に勝利をもたらした

③当時日本一の水軍を指揮していた

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よろしければどうぞ御覧ください。

 
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