西郷隆盛・大久保利通らとともに「維新の三傑」の一人と呼ばれる
木戸孝允。
幕末は倒幕運動の推進役となり、明治新政府においても版籍奉還(藩主たちが土地と人民を天皇へ返したこと)や廃藩置県(藩を解体して県を置いた)などにも尽力した人物です。
今回はそんな木戸孝允の家系図から見えてくる、子孫の方にまつわるエピソードや現在についてご紹介していきます。
木戸孝允の家系図
それでは、木戸孝允の家系図をみてみましょう。
木戸家は2回養子をとっている
そもそも木戸孝允には、跡継ぎとなる男児がいませんでした。
そこで維新の志士・来原良蔵という人物に嫁いだ、妹・治子の次男を養子に迎えています。
当時はまだ10歳の正二郎という男の子でした。
この正二郎という子はとても優秀で、わずか12歳にしてロンドンへ留学します。
さらに一旦帰国してからも、再びドイツ留学も経験しました。
しかしその帰途、正二郎は当時のセイロン(現在のスリランカ)で若くして病死しました。
そこで急きょ、正二郎の兄・彦太郎が木戸家を継ぐことになりました。
彦太郎は木戸孝正を名乗ることになり、
その結果、来原家は途絶えることとなりました。
『木戸日記』でも有名な木戸幸一
そんな孝正の長男が木戸幸一です。
木戸幸一は、昭和の前期に活躍した政治家です。
幸一は最初は農商務省に努めていましたが、貴族院議員となって、内大臣に就任しました。
昭和天皇の側近中の側近を務めたことから、彼が太平洋戦争中における宮中の様子などを克明に記録した『木戸日記』は有名です。
勝戦国が日本の戦犯たちを裁いた極東軍事裁判では、幸一はA級戦犯に指名され、終身禁固刑を言い渡されました。
その後約10年にもわたる拘禁生活を経て、1955年には仮釈放となります。
そのときの幸一は収監される前と何も変わらない様子で、元気だったそうです。
釈放後はさっそく、ゴルフなどを楽しんでいたといいます。
長いこと捕まっていると、人間性が変わってしまうそうです。
しかし何も変わらなかったというのは、さすがといったところでしょうか。
現在も活躍されている木戸孝允の子孫
では、現在にもご活躍されている木戸孝允の子孫はいるのでしょうか(2019年8月現在)。
インターネットで調べてみたところ、木戸寛孝さんという方を見つけました。
寛孝さんは木戸孝允の来孫(ひ孫の孫)に当たる方だそうです。
現在は何をされているのかと言いますと、複数の肩書をお持ちのようです。
何をしているのかというのを一言で言い表せないところが、
明治時代の偉人を彷彿とさせますよね。
ちなみに「NPO法人世界連邦21世紀フォーラム理事長」、「ピースラボ 代表」、「SUN’s Act勤務」をされています。
いずれも、この世の中を良くしようという活動をされているそうです。
また、寛孝さんは偉大なご先祖様をお持ちになっていることから、
「天皇とは一体何か」という疑問を持たれたらしく、
古事記や日本書紀の研究をライフワークとして行っているそうです。
このあたりも、実に偉人の子孫らしいエピソードですよね。
きょうのまとめ
以上、今回は木戸孝允の子孫について簡単にご紹介しましたがいかがでしたでしょうか。
木戸孝允の子孫について、
② 最も有名な子孫・木戸幸一はA級戦犯となるも元気に仮釈放された。
③ 現在も活躍されている子孫には、来孫にあたる木戸寛孝さんという方がいる。
この他にも、木戸孝允や明治維新についての記事をたくさん書いています。
わかりやすく書いていますので、是非ともご覧になってくださいね。
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