近年では「イケメン」仏像としても人気の高い、
興福寺の阿修羅像(国宝)。
仏像にあまり興味がなくても、写真などで一度は見たことがあるのではないでしょうか。
実はこちらの像、聖武天皇の妃・光明皇后と関わりが深いそうです。
そこで今回は、光明皇后と阿修羅像についてご紹介していきますね。
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興福寺の阿修羅像について
興福寺は奈良の中心地にあるお寺で、藤原氏の氏寺としても有名です。
そんな興福寺の西金堂に収められているのが「守護神八部衆立像」。
八部衆とは、古代インドにルーツを持つ神たちのことです。
仏教と信者を守るため、釈迦の眷属(如来・菩薩につき従っている神のこと)になったとされています。
- 天
- 竜
- 夜叉(やしゃ)
- 乾闥婆(けんだっば)
- 阿修羅
- 迦楼羅(かるら)
- 緊那羅(きんなら)
- 摩睺羅伽(まごらか)
阿修羅も八部衆の一人。
三面六臂(3つの顔と6本の腕)という姿をしています。
もとは悪神で、帝釈天(もとはヒンドゥー教のインドラ神で、のちに仏教に取り入れられました。)に逆らい、何度も戦いを挑んだとされています。
阿修羅像をつくらせたのは光明皇后だった!?
ということで、阿修羅は戦いの神さまでした。
にもかかわらず、少年のような顔つきをしているのは不思議ですよね。
武神というのは通常、恐ろしい顔つきで表現されるのだそうです。
阿修羅像があんなに優しそうな顔をしている理由は、
光明皇后にあるのではないかといわれているんです。
なぜなら阿修羅像は光明皇后の母の一周忌供養のため、光明皇后がつくらせたとみられているからです。
実際につくったのは将軍万福という仏師といわれていますが、
つくらせた側の意見を取り入れたという可能性は十分にありますよね。
そこで登場したのが、阿修羅像のモデルは光明皇后の息子・基親王だったとする説です。
基親王とは聖武天皇との間にできた子で、皇太子にもなりましたが、
1歳にも満たないうちに亡くなってしまった男の子です。
阿修羅像はそんな基親王の死を悼んでつくられたのかもしれない、とも考えることができますよね。
だから阿修羅像も、少年のような優しい表情をしているのでしょうか……。
他にも、光明皇后と聖武天皇の娘・阿倍内親王(のちの孝謙天皇(称徳天皇)のこと。)だったとする説などもあります。
とにかく一度興福寺を訪れて、阿修羅像を実際に見に行くことをおすすめします!
きょうのまとめ
今回は光明皇后と国宝・阿修羅像にまつわるエピソードについて、
簡単にご紹介しました。
② 興福寺の阿修羅像は光明皇后がつくらせたといわれている
③ 光明皇后の子・基親王がモデルという説がある
こちらのサイトでは他にも、光明皇后にまつわる記事をわかりやすく書いています。
より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。
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