千円札の肖像・野口英世は何をした人でしょう?
と質問すると、「黄熱病の研究」と答える人も多いでしょう。
では野口は黄熱病の研究を通じて、何を突き止めたのでしょうか。
そこで今回は、野口英世の黄熱病研究の経緯などについて、簡単にご紹介します。
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黄熱病とはどんな病気?
まず、黄熱病とはどのような病気なのでしょうか。
専門家ではないので詳しいことはわかりませんが、一般的にはこのように説明されます。
- 黄熱ウイルスを持った蚊に刺されると感染
- 発熱・悪寒・頭痛・筋肉痛・吐き気などの症状が出る
- アフリカ・中南米などで発生
- 有効な予防接種がある(効果はほぼ一生持続するとされている)
黄熱病は現在でも、熱帯地方で流行することのある病気です。
重症になると発熱と黄疸が見られることから、黄熱(英語でもyellow feverといいます。)と名付けられたそうです。
野口英世と黄熱病の闘い
さて、野口英世が黄熱病を研究するきっかけは、ロックフェラー財団の黄熱撲滅計画でした。
野口はその頃ロックフェラー研究所にいたので、黄熱病の調査団に加わったのです。
当時、南アメリカでまん延していた黄熱病でしたが、その病原体は不明。
世界中の研究者たちが、それを突き止めようとしていました。
人類の救世主!?
野口英世ら調査団は、黄熱病が流行していたエクアドルへと向かいました。
そこで黄熱病の病原体と思われる、レプトスピラ・イクテロイデスという細菌を発見。
これを受け、ロックフェラー財団はワクチンを大量に作ります。
すると、中南米における黄熱病の流行は終息に向かったのです。
そのため野口英世は「人類の救世主」とまで呼ばれるようになります。
一方、アフリカで流行っていた黄熱病には、野口のワクチンは効果がないといわれていました。
反証されていく野口説
それから数年後、アフリカのセネガルで黄熱病が大発生します。
このときも野口のワクチンは効果がなく、病原体であるはずのイクテロイデスも見つからなかったそうです。
自説が反証されてしまった野口は、自ら西アフリカのアクラ(現在のガーナ)へ。
すると、やはり死亡した患者の血液から、イクテロイデスは発見されませんでした。
悲痛すぎる最期の言葉
現地で研究を続けた野口でしたが、自身も黄熱病と診断されます。
そして、それからわずか8日後にこの世を去りました。
野口の最期の言葉は、
だったそうです。
あまりにも悲痛すぎませんか。
今となっては野口の唱えた細菌説は否定され、黄熱病はウイルスによって引き起こされる病気だとわかっています。
きょうのまとめ
今回は野口英世と黄熱病研究について、簡単にご紹介しました。
② 細菌説を唱えていた野口英世は病原体を発見したとされ、「人類の救世主」ともてはやされた
③ 後に野口の説は否定された
④ 研究の途中、西アフリカで自らも黄熱病にかかって亡くなった
こちらのサイトでは他にも、野口英世に関する記事をわかりやすく書いています。
より興味を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。
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