幕府は俺が立て直す!徳川吉宗と享保の改革

 

江戸幕府八代将軍徳川吉宗とくがわよしむねとセットとして語られることの多い“享保の改革”

その大きな目標のひとつが財政再建。

今も日本では政府が1000兆円、国民一人当たり800万円以上というものすごい額の借金がふくらんで問題になっております。

が、吉宗たちはどのようにしてそれを減らしていったのでしょうか。

ぜひ参考にしてみましょう。

 

リーダーが身をもって率先!徳川吉宗の政治姿勢

とくがわよしむね徳川吉宗

徳川吉宗像
出典:Wikipedia

いろんな贅沢や失策によって徳川綱吉の終わりぐらいからものすごくふくらんでしまった幕府の借金。

あの新井白石でも有効な手立てを打つことがほぼできませんでした。

ですが、徳川吉宗は将軍になった時から鳴り物入りです。

なんせ、前の紀州藩主時代からその財政を立て直した実績があります。

彼の本物ぶりとしてまず藩主であろうが将軍になろうが、着るものは木綿もめんです。

これは庶民の着る服装。

一見地味ですが、安くて丈夫です。

しかも一日朝と夕二食で、おかずは一汁三菜です。

「汁物一つと後三つ」

江戸城のお手伝いさんだってそんなにいりません。

それまでは将軍様の特権ということで江戸城の奥(大奥という)にいっぱい女中を養っておりましたが、

「そんなに美人ならお嫁になるのも引く手あまただろう」

と、なんと美人から大量に下野させてしまいました。

会社の社長にここまでされたら部下はそうそう贅沢できませんよね。

 

享保の改革はあまいだけじゃない!

「贅沢は敵だ」

というだけではございません。

吉宗はちゃっかりしています。

支出を減らすだけでなく収入も増やします。

上米(あげまい)の制

江戸にいる大名家の江戸在番期間をまる1年から半年にしてあげるよ。

その替わりお米を払ってね。

新田開発

新たな田畑を開発して年貢の量を増やしましょう。

農民からの年貢率を上げる

四公六民はやめにします。これからは五公五民です。

こんなわけですから、藩によっては江戸在番における余計な出費や藩の留守を減らして地元でしっかり改革をし、大変に発展するところが出てくるようになります。

また、お百姓はたまったものじゃありません。

たまたま飢饉が相次いで、百姓らは命がけで百姓一揆をどんどん起こすようになってしまいました。

江戸時代において度々財政改革が行われましたが、この享保の改革はその中でも一番効果があったといわれております。

それは見事なものです。

それから下手に借金を増やすと、いずれこういう“痛み”を味わう可能性があるので厳重に注意した方がよろしいのじゃないでしょうか。

吉宗の政策はこれだけではありません。

まず、前任の新井白石のやってしまった「デフレ(物価が下がること)」を直すために貨幣改鋳かへいかいちゅうを行いました。

お金に混ざる金・銀の量を減らして世に出回るお金の量を増やし、物価を上げるのです。

 

政治は偉い人だけのものじゃない。みんなの声を

庶民の声にもよく声を傾けました。

目安箱の設置

その箱の中に誰でも意見を書き入れてよいのです。

そういった中で小石川養生所を設置しました。

当時江戸にたくさんあふれていた貧しい暮らしの人たちが無料で診療を受けられる病院です。

さらに、町火消まちびけしの整備です。

江戸は家々が木造で密集しておりますので、火事に大変弱いです。

何度も大火となって江戸の町を飲み込んでおりました。

が、吉宗は町単位で消防をする組織を整え、これに相対しました。

享保の改革によって成し遂げられたことはほかにもいっぱいあります。

足高(たしたか)の制

あまり身分の高くない武士でも能力があればどんどん幕府の要職で活躍してもらおう。

と、それまでは普段の給料が低いと要職に就かせてもらえなかったのが、要職についている間はその分の給料を高く払ってあげるから、

として引き立ててあげたのです。

相対済令(あいたいすましれい)

この頃、奉行所では裁判が増えすぎて、困っておりました。

そこで幕府は

「お金がらみの裁判はよっぽど悪質な場合を除いて取り扱いません」

と宣言してしまいました。

借金に困っていた多くの人は助かりましたが、その一方で貸した方はたまったもんじゃありませんよね。

おかげで貸主たちは江戸城の門前まで来て帰る御家人らに

「借金を返せ」

とわめきたて、それでも無視を通そうとするものらにはその屋敷までついてゆき、門や玄関に座り込んでまで督促したそうです。

 

きょうのまとめ

さすがは徳川吉宗。

いろんな改革を行い、実績を上げております。

ただ、その反面影になる部分も結構作り出していますね。

① 徳川吉宗は自分の生活ぶりにおいても示すぐらいに倹約(けんやく)を徹底した

② 享保の改革における財政政策は一定の効果があったがその痛みもともなった

③ ほかにもデフレ対策、貧民の医療救済、町火消の整備などいろんな政策を行った

いかがだったでしょう。

ものごとには光があれば影が必ず現れる。

その辺の選択とさじ加減が難しいんですよね。

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