徳川吉宗とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

徳川吉宗と言えば昔が時代劇で「 暴れん坊将軍 」として有名でした。

享保(きょうほう)の改革をなしとげた名君。

というイメージもあるでしょう。

質実剛健なその人となりをおさらいしてみましょう。

 

徳川吉宗はどんな人?

  • 出身地: 紀州和歌山(現在の和歌山県和歌山市)
  • 生年月日: 1684年11月27日
  • 死亡年月日: 1751年7月12日(享年66才)
  • 享保の改革を行い、幕府財政の健全化に成功した。

 

徳川吉宗 年表

年表

1684年(0才)徳川吉宗生まれる

1705年(20才)吉宗、紀州藩主となる

1716年(31才)吉宗、江戸幕府第8代将軍となる
 ~      吉宗、「享保の改革」として様々な政治改革を行う

1745年(60才)吉宗、長男家重(いえしげ)に将軍位をゆずる

1751年(66才)吉宗、死亡する

 

徳川吉宗が将軍になるまで

徳川吉宗。どうしても後世の活躍から華々しいイメージがあります。

が、本当は紀州藩主の四男ぼう

しかも、お母さんは大変に低い身分

ところが、兄さんたちが思いがけず早く亡くなり、紀州藩主の座が転がりこんできます。

吉宗は紀州藩主になってからその財政立て直しに励みます。

徳川御三家の殿様なのに木綿の服を着て、ご飯は一日に朝夕二食。
しかも、おかずは一汁三菜。
汁物一つと後三つ、です。

もうこの頃から和歌山城の門前に「 訴訟箱 」を置いて、身分によらない人々からの直接の訴えを募集していたんですね。

やがて、江戸幕府第7代将軍家継が7才で病没すると、その直接の後継ぎがいなくなります。

そこで吉宗に白羽の矢が立ち、晴れて江戸幕府第8代将軍に就任します。

吉宗はまずこれまで幕府の政治を中心的に切り盛りしていた新井白石と間部詮房(まなべあきふさ)をクビにします。

「 もう、俺が思うような仕事をするんだ 」

という並々ならぬ意思表明です。

そして始めたのが享保の改革

 

享保の改革

幕府の財政を立て直す

大奥の女中の人員削減をしたり、

上米(あげまい)の制で各大名家から江戸在番の期間を緩めるかわりにお米を納めさせたり、

年貢を四公六民から五公五民に引き上げたり、

新田開発を率先して行ったり、

して、支出をけずり、収入を増やし、長らく深刻な赤字体質だった幕府財政を立て直しました

新井デフレ(物価が下がる)を直す

前任の新井白石がデフレを引き起こしていたので、
貨幣改鋳(かへいかいちゅう)によってお金に混ざる金・銀の割合を減らし、お金を世に出回るようにしてデフレを解消しました。

広く世間の意見を募集する

吉宗は江戸では目安箱を設置しました。
誰でも意見があるならここに紙に書いて出せばいいよ、
というシステムです。

そこに素晴らしい意見が書いてありました。

例えば貧しい人たちの為に小石川養生所という病院を造る。
さらには江戸で度々大変な被害を巻き起こす火事対策として、町火消しを整備する。

など。

ほかにも成果は目白押し

ほかにもめぼしいところで
“足高(たしだか)の制”
武士ならば身分にかかわらず有能な人材を登用したい、
と、低い身分でも責任の重い役職に就けばちゃんとその分の給料を保証してあげる。

とか、
“公事方御定書(くじがたおさだめがき)”
という幕府の主に刑事的な法律を整備する。

とか、
ベトナムから江戸に象を運んで”象ブーム”を巻き起こします。

とまあいろんなことを成果として残しました。

ただ、
「 お米さえ払えば 」
と各大名家が領地に帰って地元の政治に専念し、中にはものすごく力を付けて後に幕府の恐るべき強敵となる藩が現われてしまいます。

また、
増税が厳しく、飢饉(ききん)と重なって百姓が困窮し、「 百姓一揆 」がたくさんおこる原因も作りました。

やがて、長男の家重(いえしげ)に将軍位をゆずり、隠居します。

一度は中風で右半身不随、言語障害の後遺症を残してしまいます。

が、そこは不屈の魂でリハビリに励み、一時は江戸城西ノ丸から本丸まで歩けるほど回復したといいます。

やがて満66才で亡くなったといわれております。

最後までその質実剛健は健在。

見事な「 暴れん坊将軍 」ぶりではないでしょうか。

 

関連記事 >>>> 「幕府は俺が立て直す!徳川吉宗と享保の改革」

 

きょうのまとめ

粘り強く、たくましく、率先して自分の身をさらす。
こういうリーダーがいると確かに「 ついていこう 」という気になるかもしれません。

① 徳川吉宗は紀州藩主の四男ぼうで、藩主に就く可能性はかなり低かった。

② 吉宗は享保の改革で幕府財政などめざましい成果をあげたが、そこに”痛み”をともなった

③ 吉宗は大病の後遺症にあっても懸命にリハビリを続け、ある程度回復までした

いかがだったでしょう。
まだまだ江戸時代は半分。
次はどんな人物がクローズアップされるのか。
歴史には無数の人があり、その無数の人の分だけ歴史があります。

 

関連記事 >>>> 「徳川吉宗と華麗なる将軍家の家系図」

 










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