徳川家康の拠点となった城は主に静岡だった

 

徳川将軍家といえば、その拠点は江戸城ですね。

家康は幕府を開いて、当時小規模であった江戸城を改修し日本最大のお城としました。

今回は徳川家康とくがわいえやすが拠点にしたお城を、

ゆかりの深い静岡を中心にみていきましょう。

 

岡崎城(愛知県岡崎市)

徳川家康

徳川家康
出典:Wikipedia

1542年、徳川家康はこの城で生まれました。

別名「龍城」と呼ばれています。

当時は石垣などもない土塁を巡らせただけの城でした。

一時は今川家に奪われるのですが、今川義元の死をきっかけに、家康はこの城に戻り、人質生活から自由になったのです。

1617年には3重の天守閣が作られました。

しかし1873年廃城令によって廃棄処分となり、天守以下のものはみんな取り壊されてしまいました。

1959年鉄筋造りで天守が再建され「日本100名城」にも選ばれました。

現代は岡崎公園となり、家康の銅像や資料館などがあります。

 

浜松城(静岡県浜松市)

今川家から独立した家康が、岡崎城を離れ本格的に築城したお城です。

家康はこの城からスタートしたのです。

29歳から45歳までの17年間をこの浜松城で過ごしました。

家康が去った後、代々の徳川家にゆかりの深い大名達がこの城に入りました。

その中で幕府の要職につくものが多かったため、「出世城」と呼ばれたほどです。

この城は野面積みという技法を使った石垣があり、自然の石を加工することなく積み上げた見事なものです。

 

駿府城(静岡県静岡市)

家康が2代目の将軍、秀忠に家督を譲り、移り住んだ城が駿府城です。

別名、府中城や静岡城と言われています。

家康は家督を譲る前からこの城の改築をしていました。

老後の住処とするつもりだったのでしょう。

改修途中、火災で一部が焼けてしまいましたが、再建され家康はこの城で最期を迎えています。

家康の死後、また火災が起こり大半を消失しました。

その後城門や御殿は再建されましたが、天守は再建されませんでした。

その後も何度か城壁などの改修に取り組まれましたが、地震によって壊れてしまいました。

明治になり内堀は埋められ、城郭施設は取り壊されています。

昭和になって公園として整備され、天守はないものの城壁の跡などが見られ、東御門なども復元されています。

現在は駿府城公園とと呼ばれ、2015年には家康の400回忌を記念した「駿府天下泰平まつり」が催されました。

静岡市では天守閣の復元に向けて検討しているということです。

完成すれば、また名城が増えますね。

家康もきっと喜ぶのではないでしょうか。

 

きょうのまとめ

戦国の時代を生き抜いた家康は拠点である城を転々としながら、

駿府城を最後の城としたのです。

戦さのたびに城を明け渡さなければならない時もありました。

しかし天下人となった家康は、

自分で城を選ぶことも、築くこともできるようになったのです。

現在、残されている家康ゆかりの城を巡って彼が生きた時代を感じて見るのも楽しいかもしれませんね。

 
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