徳川家康の歴史を簡単に年表でみてみよう

 

1600年天下分け目の関ヶ原で、見事勝利し天下を得たのは

徳川家康とくがわいえやすであることは誰もが知っているでしょう。

家康がそこまで上り詰めるには大変な苦労があったと思います。

ここでは家康の生涯を簡単に年表にしてみていきましょう。

 

家康の誕生から人質時代を経て独立するまで

徳川家康

徳川家康
出典:Wikipedia

1542年家康誕生

家康はこの年の12月愛知県で誕生しました。

父は松平広忠(当時 岡崎城主)、母は於大の方です。

幼名は「竹千代」でした。

1548年織田家の人質へ

駿河国を治めていた今川義元のところに人質として向かいますが、尾張の織田家に捕らわれ織田家の人質になります。

この時家康はわずか6歳でした。

1550年今川家の人質へ

2年後織田家から解放され、今度こそ今川家の人質として向かいます。家康8歳でした。

1555年元服

家康は13歳で元服しています。

この時松平元信と名乗ります。その後松平元康と改名しています。

1560年今川義元の死

桶狭間の戦いがあり、今川義元は織田信長に破れます。

これをきっかけに家康は今川家から独立したのでした。

家康18歳でした。

 

「徳川家康」誕生から死去まで

1566年「家康」誕生

この年松平元信から徳川家康に改名しました。

家康24歳です。

1568年今川家を滅ぼす

甲斐国の武田信玄とともに、かつて人質として仕えていた今川家を滅ぼします。

家康26歳でした。

1572年痛い敗北

この年、三方ヶ原の戦いで、かつての同志武田信玄と戦い敗北を期します。

家康30歳の節目でもありました。

1582年武田家を滅ぼす

1575年家康33歳の時、織田信長と手を組み、長篠の戦いで武田軍を破ります。

その7年後、武田勝頼を滅ぼし武田家は滅亡しました。

この時家康は40歳になっていました。

また、この年に本能寺の変が起こり、同盟を組んでいた織田信長が亡くなります。

1586年豊臣秀吉の家臣へ

小牧・長久手の戦いで、信長の後を継いだ羽柴秀吉と戦いますが、家康44歳で秀吉の家臣となります。

その4年後秀吉は天下を統一しました。

家康は関東地方を褒美として任されます。

1598年豊臣家の後見人となる

豊臣家の五大老に就任した家康は、秀吉の死後その遺児秀頼の後見を任されます。

家康は56歳になっていました。

1600年関ヶ原の戦い

石田三成の西軍を破り、事実上天下人となりました。

すでに家康は58歳を迎えていました。

1603年江戸幕府設立

家康61歳のこの年、征夷大将軍に任じられ、江戸幕府が誕生します。

1615年大坂夏の陣

この年、家康は豊臣秀頼を破り、豊臣家は滅びます。

家康74歳でした。

この時徳川が本当に天下をとったと言ってもいいかもしれません。

1616年死去

やっと天下人となった家康は75歳でこの世を去ります。

江戸幕府創設から13年後でした。

 

きょうのまとめ

幼い頃から人質生活を余儀なくされ、それに耐えてチャンスを物にしてきた家康は苦労人と言えるかもしれません。

しかし、着実に生きてきた彼を天は選んだのです。

家康が開いた江戸の時代は、彼の死後も250年あまり続きました。

 
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