徳川家康の性格は?簡単なエピソードとともにご紹介

 

徳川家康は江戸幕府を開き、

それ以降264年もの間、天下を泰平に導いた人です、

戦乱の世を勝ち抜き、ついに天下人となった徳川家康とは

どのような性格の持ち主だったのでしょうか。

簡単なエピソードを交えながら、徳川家康という人をみていきましょう。

 

忍耐強い性格

徳川家康は子供の頃から、
織田家や今川家の人質生活をよぎなくされていました。

その頃から我慢するということを覚えたのでしょう。

織田が力を持てばそれに従い、
豊臣秀吉が天下を取ればまたそれに服従しています。

そして忍耐強く待ったおかげで、
秀吉の死後、豊臣家を倒し晴れて天下を取ったのです。

また1600年の関ヶ原で事実上支配者となったにもかかわらず、

豊臣家を10年以上もそのまま存続させていたことも、
家康の気の長さを感じます。

有名な

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」

まさに家康の性格を現していますね。

また逆に戦になると短気なところもあったようですから、

気の長い忍耐強い一面だけではなさそうです。

 

倹約家だった

豊臣秀吉が天下を取った時、

秀吉は金の茶室や豪華な着物などこしらえ、
贅沢の限りを尽くしています。

それにひきかえ、
家康は質素倹約をモットーとし、贅沢なことは一切していないそうです。

家康の質素倹約のエピソードをいくつかあげてみましょう。

・いつも同じ着物を着てボロボロになったので、女中が新しいものをと言うと、まだ着れると言って跳ね除けた

・汚れが目立たないので長く使えるという理由で、浅黄色の下着を使っていた

・奥女中に対しても、あまりご飯のおかわりをするので、漬物を塩辛くしておかわりを減らすようにした。

自分だけでなく家臣にも倹約をさせてたんですね。

こうなると倹約家というよりケチだったのではないでしょうか。

そのケチのおかげで、徳川家は莫大なお金を蓄えていったと思われます。

 

健康志向

家康は健康にすごく気を使う人でした。

麦飯を主食とし、
煮物や焼き魚などを好んで食べていたということです。

これは先に述べた倹約(ケチ)にもつながる話ですね。

それだけではなく薬草などにも詳しく、
家康自ら薬を調合して飲んでいたといいます。

その薬を根付けに入れて、
いつも持ち歩いていたというエピソードもあります。

そのおかげかどうかは分かりませんが、
当時としては長寿の75歳まで生きたのです。

死ぬ前も医者に頼らず、
自分で煎じた薬を飲んでいたそうです。

 

家臣の強化

もともと三河武士と言われたほど強い徳川家の家臣たちでしたが、
それをより強く鍛えたのが家康だと言われています。

家康は他国から多くの部下を集めています。

例えば滅亡した武田家の配下だったものを積極的に雇い入れ、
より強い武士の軍団にしていったのです。

こうして徳川家は武士として最強の集団となりました。

 

きょうのまとめ

徳川家康と聞くと、

どうしても忍耐の人というイメージが真っ先に頭に浮かびます。

でもそれだけじゃなく、短気な面も持っていたり、

家臣を大事にするところもあることもわかりました。

そして何よりケチなことが。

どんな人にも性格に多面的な部分はあります。

そういう意味では、家康も私たちと同じ1人の人間だったんですね。

 

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