女嫌いの徳川家光に愛されたお万の方とは

 

江戸幕府の3代将軍・徳川家光は、中年という歳になっても子供がいませんでした。

あまり女性に興味を示さなかったことが原因とされています。

公家の名門から嫁いできた、正妻の鷹司孝子たかつかさたかことは

結婚早々に別居状態となっていました。

そんな家光に愛された側室がいたのをご存知でしょうか。

名をおまんの方と言います。

 

徳川家光とお万

徳川家光

徳川家光
出典:Wikipedia

徳川家光に愛されたお万の方とはどんな人物なのでしょうか。

2人の関係はどうだったのか見ていきましょう。

お万の方とは

参議・六条有純の娘と言われています。

伊勢の慶光院の院主をしていました。

慶光院は格式の高いお寺で、公家の良家の姫が剃髪して住職になる

という決まりがありましたので、お万の方は家柄の良い公家の姫だったことが分かります。

本来であれば、神仏に仕え静かに人生を送るはずだったのですが、

家光に見初められたことでお万の人生は大きく変わります。

春日局かすがのつぼねによって、大奥入りし、家光の側室となります。

女性に興味のなかった家光が見初めたのですから、周りは大騒ぎだったでしょう。

このお万の方を皮切りに家光は多くの側室を迎えています。

お楽の方(宝樹院)との子で、4代将軍となる家綱、玉(桂昌院)との子で、5代将軍となる綱吉が生まれています。

家光は男色だった?

家光は19歳で結婚しますが、30歳になっても跡継ぎができませんでした。

それもそのはずで、女性に興味を示さなかったのです。

女性嫌いというか、男色だったというのです。

家光が16歳の時、坂部五右衛門という小姓を切り捨てる事件が起きました。

坂部五右衛門が、他の小姓と仲良くしているのを見た家光が嫉妬の余り切り捨ててしまったのです。

また酒井重澄さかいしげずみもお気に入りの小姓の一人でした。

家光に寵愛され、10代で2万5千石の大名に出世しました。

病気で静養しているにもかかわらず、4人もの子供を儲けたことを家光が知ると職務怠慢の理由で改易となり領地を没収されてしまいます。

他にもたくさんのお気に入りの小姓がいたそうですから、

家光が男色だったというのもあながち嘘ではないようです。

2人の子どもは?

男色で女性に興味を示さなかった家光ですが、お万の方との出会いで

男色は落ち着いたそうです。

大奥に集められた側室の中でも一番の寵愛を受けたのがお万の方ですが、

2人の間に子供はできませんでした。

「幕府外戚伝」というものがあり、そこでお万の方について書かれている部分があります。

お万の方と改め、有髪の形となりて枕席に侍る、しかれども老中より内証ありて懐妊を禁ぜし故、御子なし

「側室に迎えておいて懐妊するな」とは支離滅裂な気がしますが、

徳川将軍家に皇室や公家の血脈を入れたくない、ということらしいです。

皇室や公家の血を引いた人物が将軍になってしまうと、

母方の皇室や公家の力が強くなってしまう恐れがあります。

そういったことを心配したからだと言われています。

単純に子供が生まれればいい、というわけでもないのですね。

大変な時代です。

 

きょうのまとめ

徳川家光に愛されたお万の方について、ご紹介しました。

男色だった家光を惚れさせてしまうなんて、

お万の方はさぞ魅力的な女性だったんでしょうね。

徳川家光の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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