日本三大悪女?淀殿の性格とは

 

浅井長政と、お市の方との間に生まれた

浅井三姉妹の長女が茶々。

後の淀殿(よどどの)です。

豊臣秀吉の側室となり、跡継ぎとなる秀頼(ひでより)生みますが、

豊臣家滅亡の原因を作った人物などと言われ、「 悪女 」扱いされることが多い人物です。

悪女と言われる淀殿はいったいどんな性格だったのでしょうか?

淀殿は本当に悪女だったのか?

本当に、日本三大悪女と呼ばれるような人だったのでしょうか。

淀殿の性格とはどんなものだったのか見ていきましょう。

幼少期のトラウマ?

淀殿は幼い頃に2度の落城を経験しています。

1度目は、叔父である織田信長と父・浅井長政が敵対したことにより

小谷城が織田軍に攻められた時です。

この時に母・お市の方と淀殿たち三姉妹は信長によって救出されます。

2度目は、母・お市の方の再婚相手である柴田勝家と羽柴秀吉が対立した

賤ヶ岳(しずがだけ)の戦いです。

この戦いでは、北ノ庄城で柴田勝家と共に母・お市の方が自害します。

大阪の陣、の陣も加えると4度の落城を経験したことになります。

おそらく日本史上、一番多く落城を経験した姫君ではないでしょうか。

父親を亡くした最初の落城の時は、淀殿は4〜5歳、

母親を亡くした2度目の落城は、14歳くらいでした。

多感な時期にこのような経験をした淀殿は、

生に対する執着が人一倍強かった言われています。

さらに落城の経験からか、砲弾の音に強いトラウマがありました。

大阪冬の陣では、砲弾の音に驚いた淀殿が、周囲が止めるのも聞かずに

徳川方と和睦を結んだと言うエピソードは有名です。

 

プライドが高く傲慢

淀殿の性格は「 プライドが高く、傲慢で鼻持ちならない 」

などと表現されることが多いのですが、本当でしょうか。

浅井家は近江の名門であり、叔父はほぼ天下を掌握した織田信長です。

淀殿は、生まれたときから名家のお姫様として育ったわけです。

名家のお姫様がプライドが高いというのは、当然と言えば当然です。

淀殿が特別、プライドが高く傲慢なわけではなく、

この時代のお姫様ってこんなものじゃないの?とも言えるのです。

ましてや、豊臣秀吉は元々は織田信長に仕えていた武将です。

「 私のほうが立場も格式も上 」と考えていても、なんら不思議ではありません。

お市の方が自害した後、淀殿は二人の妹に

そなたたちは名族浅井家の姫君なのだから、

見苦しい振る舞いをしてはいけない

と強くたしなめたと言います。

この時の淀殿はわずか14〜15歳です。

落城という辛い経験をしたからこそ、自分の生まれにプライドを持っていたのかもしれません。

 

本当に「 悪女 」?

淀殿は本当に「 悪女 」だったのでしょうか。

淀殿が侍女たちに慕われていたというエピソードがあります。

淀殿の墓前には命日になると今でも、淀殿が好きだった白ユリが供えられます。

大阪城落城の際に、淀殿が逃がした侍女たちの子孫が今でも白ユリを供えるのだそうです。

このような習慣は豊臣の名前さえ出せなかった、

江戸時代の厳しい監視の中でも人目を忍んで行われたそうです。

また大阪冬の陣では人質となって江戸に行くことに同意していた、

という資料が見つかっています。

プライドが高く傲慢、と言うイメージからは想像もつきませんよね。

「 淀殿=悪女 」と言うイメージは江戸時代に定着したものではないかと言われています。

未だに豊臣家に恩を感じる大名も多い中、

徳川家康が豊臣家を滅ぼした理由を正当化するために、「 淀殿=悪女 」と言うイメージが必要だったのです。

他にも信長の側室が困っていることを知ると、50石を与えて生活援助をしたり

牢人たちを養うために禄の加増を徳川方に頼んだりと、

実は細やかな配慮ができる女性であったことが伺えます。

 

きょうのまとめ

淀殿の正確について、いかがでしたか?

徳川方にも凛とした態度で接しているため、プライドの高さは伺えますが、

それは自分の出生、ひいては亡くなった父や母にプライドを持っているからです。

決して「 悪女 」と言われるような女性ではなかったのではないでしょうか。

 

淀殿の【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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