藤堂高虎の築城の特徴とは?

 

築城技術に優れていた藤堂高虎とうどうたかとら

その技術の高さは天下人からも一目を置かれていました。

今回は藤堂高虎の築城の特徴についてお伝えします。

 

戦国屈指の築城名人、藤堂高虎

藤堂高虎

出典:Wikipedia

藤堂高虎は何度も主君が変わった人物で有名です。

また、築城名人としても有名でした。

浅井家、豊臣家、徳川家と様々な家臣となりつつ、非常に多くの築城に携わっています。

特に徳川家ではその築城技術が重用され、旧敵豊臣家家臣としては異例の高待遇を受けていました。

築城名人と言えば、

・熊本城を築いた加藤清正

・福岡城を築いた黒田官兵衛

なども有名ですが、藤堂高虎は決して引けを取ることはありません。

築城と言えば、藤堂高虎といっても過言ではないでしょう。

 

藤堂高虎が手掛けた城

藤堂高虎が手掛けた城は高名な城ばかりで、日本の名城100選にも多く選ばれています。

一部ですが、ご紹介いたします。

江戸城

1603年、天下統一した徳川家康は、当時質素な造りだった江戸城の大規模改築を実施しました。

高虎は石垣を高く積み上げる技術と堀の設計に長けていたため、

・城の外郭石壁

・石垣

を担当したと言われています。

さらに、天守台や石塁の修築にも携わったと言われています。

二条城

家康亡き後、高虎は2代将軍の徳川秀忠に仕えました。

1619年、秀忠は娘・和子の後水尾天皇への入内を控え、京都の二条城の大改修を実施します。

秀忠は高虎にその基本設計を任せています。

伊賀上野城

三重県伊賀市にある伊賀上野城は秀吉の家臣・筒井定次が築城したと伝えられる城です。

三重県伊賀市は、徳川家康が政権を握ると、豊臣家の大坂城ににらみを利かせる重要拠点でした。

そのため、徳川家康は大規模な改修を必要とし、高虎に白羽の矢が立てられます。

1611年、高虎は西側に本丸を拡張、南側には二ノ丸を建設し、高さ30mもの高石垣をめぐらせました。

さらに、外郭には長さ約40mという巨大な大手門や御殿などを築きます。

しかし、五層の天守閣は完成間近の1612年に暴風で倒壊し、200人近くの死者、負傷者を出す大惨事となったと言われています。

宇和島城

愛媛県宇和島市にある宇和島城も高虎の手掛けた城です。

1596年、高虎は山頂の本丸を中心として中腹に二ノ丸を配し、東側には海水を引き入れて水堀を建設しました。

この宇和島城は西側半分が海に面している「水城」としても有名です。

宇和島城の最大の特徴はその外郭で、五角形の外角は防戦にも有効、物資の搬入にも効率的に機能しました。

さらに、いざという時に城から脱出する抜け道も整備されていたと言われています。

篠山城

伊賀上野城と同じく、徳川家康が大坂城の豊臣家を抑えるために1609年、兵庫県篠山市に築城しました。

高虎は得意とする堀の設計で内堀・外堀を築きました。

外堀は1辺を約400mの正方形とし、内堀内の二ノ丸を囲む土塀は死角がないように見せるなど防衛力にも優れていました。

 

築城名人加藤清正と藤堂高虎のそれぞれの特徴

築城名人加藤清正と藤堂高虎のそれぞれの城の特徴をみていきましょう。

それぞれの城の特徴

熊本城築城でも有名な加藤清正

加藤清正の特徴は「実戦型」の城であることです。

加藤清正は豊臣秀吉全盛期に活躍した武将でもあり、まさに戦国時代真っ盛りでした。

一方、高虎は徳川家康以降の江戸時代、平穏な時代となりつつある時期でした。

そのため、実践型というよりは「居住型」に近い、居住スペースを意識したシンプルな造りが特徴です。

石垣の違い

一番大きな違いは石垣です。

加藤清正の石垣は徐々に傾斜をきつくする「武者返し」と呼ばれる反り返しのきついものでした。

一方、藤堂高虎は「高さ」を特徴とする石垣で、水面からおよそ30m近くもありました。

堀を有する城には、そもそも地盤が弱くなることで高い石垣は造りづらいものです。

しかし、高虎は安定的に石垣を積む技術に優れ、特に水が多く存在する「水城」の築城も得意分野でした。

天守閣の違い

もう一つ大きな違いは「天守閣」です。

加藤清正が活躍した時代は望楼型ぼうろうがたと呼ばれる形の天守閣が主流でした。

屋根の上に、望楼(物見やぐら)を乗せた形で、やや安定感に欠ける構造でした。

一方、高虎は層塔型天守閣と呼ばれるシンプルな天守閣を生み出します。

史上初の層塔型天守は、藤堂高虎が手掛けた今治城です。

短期間に造ることができ、かつ安定感のある天守閣を生み出しました。

今治城以降の築城は、この層塔型天守閣がスタンダードとなりました。

町の発展を前提とした特徴も

また、藤堂高虎の特徴がもう一つ。

江戸時代に入り、戦国時代と比べて平和な時代が到来しました。

藤堂高虎は山城ではなく、平地に城を築くことが増えました。

藤堂高虎は築城のみならず、城下町や交通網などを意識した築城を増やしました。

つまり、経済性を意識し、町の発展を前提とした築城です。

これも藤堂高虎の特徴の一つと言えるかもしれません。

 

きょうのまとめ

藤堂高虎の築城について見てきましたが、いかがでしたでしょうか

藤堂高虎の築城は、

① 築城名人加藤清正と並び称されている

② 日本の名城100選にも多く取り上げられている

③ 安定した石垣造り、石垣の高さが特徴的

④ シンプルな天守閣は、その後の築城のスタンダードとなった

と言えるのではないでしょうか。

藤堂高虎については、他にも色々な記事があります。

よろしかったらご覧になってみて下さい。

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