魏の礎を作った人物で、三国志最強の武将とも呼ばれている
曹操孟徳(そうそうもうとく)。
大の女好きとしても知られ、生涯に13名の妻を愛し、32名の子を残しています。
しかしこの時代の権力者としては妻が十数人というのは決して珍しいことではありません。
その証拠に正式な妻の他に、側室という地位で妻を迎えることが公的にも認められていました。
ではそういった時代において、なぜ曹操が女好きといわれていたのでしょう。
曹操には妻を中心としながら、女性関係に欲をかくエピソードが多く残されているのです。
優れた名将にも欠点の一つや二つあるものなのですね。
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正室となった3人の妻
劉(りゅう)夫人
曹操の正室となった妻は、生涯に渡って三人いました。
一人目の正室は劉夫人。
曹昂(そうこう)、曹鑠(そうしゃく)の二人の息子と、清河長公主(せいかちょうこうしゅ)という娘の三人を生みますが、劉夫人自体は若くして亡くなってしまいます。
丁(てい)夫人
劉夫人が亡くなった後、二人目の正室になったのが丁夫人。
丁夫人は子宝に恵まれず、代わりに劉夫人が産んだ曹昂の養育を任せられます。
自身も子供が欲しかったからでしょう、丁夫人は曹昂を実の子のように可愛がりました。
ですが丁夫人は曹昂が戦の中で死んでしまったことをきっかけに、曹操と仲違いし、離別してしまいます。
このときの戦は、曹操が降伏した張繍(ちょうしゅう)の亡き伯父の妻、鄒氏(すうし)を妻にしようとしたことが張繍の怒りに触れてのことでした。
この戦いで曹昂を失った丁夫人は「曹操が女にうつつを抜かしたばっかりに…」と恨みを募らせていたといいます。
卞(べん)夫人
三人目の正妻は卞夫人です。
元々芸妓という身分から曹操の側室になり、丁夫人と別れたことをきっかけに正室にまで成り上がるのですから、13名の妻の中で一番出世したのは卞夫人だといえるでしょう。
元の身分に関係なく曹操が彼女を正室に選んだことにも、頷ける理由があります。
彼女は芸妓の出身でありながら派手な振る舞いを好まず、極めて倹約に努めて家計に貢献しました。
また10人以上も女性が集まっているのですから、嫉妬による揉め事なども起きそうなものですが、これを治めていたのも卞夫人だといわれています。
卞夫人は側室の妻たちやその子供たちにも分け隔てなく、平等に接したのです。
まさに武将の妻としては鏡のような存在。
彼女が元の身分など物ともせず出世したことにも合点がいきますね。
女好きを垣間見せるエピソード
関羽との約束を破って杜(と)夫人を側室に
曹昂の死を巡っての丁夫人との仲違いにしてもそうですが、曹操の女好きエピソードはまだまだあります。
後に曹操の側室となる杜夫人は、元は呂布の部下、秦宜禄(しんぎろく)の妻でした。
しかし秦宜禄は呂布の使者として、袁術(えんじゅつ)に救援要請をしに行った際、交換条件として別の女性と無理矢理結婚させられてしまいます。
これを受けて杜夫人を妻にしたいといいだしたのは、劉備(りゅうび)の腹心だった関羽(かんう)です。
曹操は呂布に敗れた劉備を助け、関羽には呂布を破ったあかつきに杜夫人を妻に迎え入れることを認めました。
しかし呂布に勝利した後、曹操はなんと関羽との約束を破り、杜夫人を側室にしてしまうのです。
理由は杜夫人があまりにも美しかったからだとか。
後に関羽が劉備と共に曹操を裏切ったことには、こういった女性がらみのいざこざも関係しているのかもしれません。
曹操は謙虚な武将として部下から慕われていましたが、女性がらみとなると信用に欠けることもやらかしていたのですね。
息子の曹丕(そうひ)に美女を取られたことに憎まれ口をいう
曹操と中国の勢力を二分にした武将、袁紹(えんしょう)の息子、袁煕(えんき)に勝利した際には、袁煕の妻の甄氏(しんし)にも惚れ、捕らえて自身の妻にしようとします。
しかし甄氏に惚れたのは曹操だけではありませんでした。
息子の曹丕は曹操よりも一足早く甄氏を口説き、彼女を妻として迎え入れます。
自分が妻にしようと思っていた女性を取られた曹操は、さぞ不快だったに違いありません。
曹操はこのとき曹丕に向かって憎まれ口をもらしています。
女好きの曹操のことです…曹丕が彼の息子だったから争いにならずに済みましたが、もし他の人が甄氏を妻に迎えていたら、これまたひと悶着起きていたのではないでしょうか。
きょうのまとめ
武力にも優れ、政治家としても類まれな手腕を振るった曹操ですが、女性関係となるとだらしなさが目立ちます。
そういった完璧でないところもまた親しみやすく、曹操の人気の理由にもなっているのでしょう。
曹操と女性関係を簡単にまとめると…
① 女性関係が仇となり、戦を引き起こして息子と妻を失う
② 曹操を陰で支えた立役者は卞夫人
③ 杜夫人が美しかったので、関羽との約束も破って自分の妻にした
一見すると曹操は女性に関してはとことんダメ人間のように見えますが、実はそうでもありません。
惚れっぽい性格だったのは確かでも、13名の妻に対してはいずれも愛情の限りを尽くしていたのです。
中には未亡人で連れ子がいるような妻もいましたが、曹操はそういった子供にも実の子と態度を変えるようなことはなかったといいます。
そして自分が亡くなったとしても妻たちが路頭に迷わないようにと、それぞれの身の振り方についても気を配っていたのです。
曹昂の死が理由で別れてしまった丁夫人に関しても、「あの世で息子に示しがつかない」と後悔していたのだとか。
曹操は女好きですが、それで自分の欲を満たすというよりも、女性を幸せにしてあげたいという想いが強かったのでしょう。
曹操孟徳の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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