曹操孟徳と劉備玄徳の因縁とは?元を辿れば親密だった二人

曹操孟徳

 

曹操孟徳(そうそうもうとく)は三国時代の魏の礎を築いた人物。

それに対して劉備(りゅうび)は蜀の初代皇帝となる人物で、曹操の生涯のライバルとして描かれる武将でもあります。

二人が対立するようになったのは、互いに優れた武将である前に、個人的な因縁がありました。

曹操と劉備は元を辿ればとても親しい間柄だったのです。

一体どのようにして、二人は敵同士になっていったのか、一連の出来事に迫ってみましょう。

 

曹操に助けを求める劉備

呂布(りょふ)に攻め込まれ敗走

西暦194年のこと、劉備は前任の領主だった陶謙(とうけん)からその地位を譲り受け、領主として徐州を治めていました。

そこに匿ってほしいとやってきたのが、曹操との戦に敗れた呂布です。

劉備はこのとき呂布を受け入れますが、劉備の留守中に曹豹(そうひょう)にそそのかされ、呂布は劉備の妻子を人質に取ります。

要は人質を盾に徐州を自分のものにしようとしたのです。

これには劉備も応じるほかなく、呂布に徐州を譲り、自身は小沛(しょうはい)へと身を移しました。

ただ劉備は呂布を許したわけではなく、秘密裏に兵力を蓄え、ゆくゆくは復讐するつもりでいたのです。

しかしこれを知った呂布に逆に攻められてしまい、敗れた劉備は曹操の元へ助けを求めて逃げ込みます。

呂布を処刑し、劉備を厚遇する曹操

兼ねてから呂布と対立していた曹操は、助けを求めてきた劉備を快く迎え入れます。

そして曹操は劉備が元居た小沛へ戻れるように援助しました。

後の198年に呂布が劉備の元へ攻め入った際には、従兄弟の夏侯惇(かこうとん)を援軍に出します。

それでも呂布の勢力に適わない様子を見ると、最終的には曹操自らが出陣。

戦を勝利に導き、呂布を処刑してしまうのです。

このとき呂布は劉備のことを「信用できない男だ」と訴えていますが、曹操は劉備に惚れ込んでいたので、劉備の言い分が信用されたのでした。

呂布との戦で劉備の健闘ぶりを見た曹操は、劉備のことをさらに厚遇し、左将軍といういわば自身の側近の地位を与えます。

なんでも輿(こし)に乗るときも、座席を設けるときも、常に劉備を隣に座らせたんだとか。

 

劉備の裏切り

董承(とうしょう)による曹操暗殺計画へ加担

曹操はすっかり劉備を信頼しきっていましたが、当の劉備はその限りではありません。

彼には野心があり、自分を厚遇していた曹操さえも敵として見ている部分があったようです。

そのとき曹操は後漢の皇帝だった献帝に丞相(大臣)として仕えていたのですが、献帝がいわゆる出来の悪い皇帝だったため、実権は曹操が握っているのが実情でした。

これを悔しがった献帝は、義理の父に当たる董承(とうしょう)に曹操を暗殺してほしいと伝えます。

これを受けた董承は、暗殺を実行する人物に劉備を選びました。

劉備はこれを実行に移すことはありませんでしたが、曹操にバレないように計画が運ぶよう加担しています。

後に当時曹操と勢力を二分していた袁紹の従兄弟、袁術の討伐に向かう命を得た劉備。

これを好機と睨んでか、暗殺計画に加担したことがバレる前に曹操の元から去ります。

そのとき袁術が病死してしまったため、結局劉備と戦を交えることはなかったのですが、劉備はその後も曹操の元へは戻らず、徐州に残りました。

そうこうしているうちに、暗殺計画が露見し、劉備がそれに関わっていたこともあり、曹操は激怒。

部下の劉岱(りゅうたい)と王忠(おうちゅう)を劉備の討伐へと向かわせるのでした。

しかしこの二人の軍はまったく歯が立たたず、劉備は「曹操が出てこないと私には適わない」と挑発したといいます。

これを知った曹操はすでに相当頭に来ていますから、自身が劉備の元へと攻め入ろうとしました。

しかし劉備は曹操自身が本当にやって来たことに驚き、逃げ出してしまいます。

袁紹(えんしょう)に曹操が敵意を抱いていることを告げる

劉備が逃げ出した先は、曹操が自分の対となる勢力として敵視していた袁紹の元でした。

ここに来ても劉備の裏切りはエスカレートし、袁紹に曹操が首を狙っていることを告げ口してしまいます。

これを受けては袁紹も黙ってはおらず、曹操の元へ攻め込むことに。

こうして、事態は西暦200年の官渡の戦いへ(かんとのたたかい)と発展していくのでした。

この戦の中でも劉備は袁紹の味方をし、曹操の反感をさらに買っていくことになります。

ここまでされては、曹操にとって劉備はなんとしてでも討たなければいけない存在です。

その後も幾度に渡り劉備を追いかけまわした曹操でしたが、結局220年の曹操の死没まで、二人の争いに決着が着くことはありませんでした。

 

きょうのまとめ

曹操が劉備に誰よりも信頼を置いていたことは、その厚遇ぶりからも明らかです。

しかし劉備はそれさえも裏切ってしまうほどの野心を持っていました。

二人の関係を簡単にまとめると…

① 曹操は呂布に敗走した劉備を助け、呂布の討伐も自ら買って出た

② 曹操は劉備の才能に惚れ込み、自身の側近として常に側にいさせた

③劉 備は曹操を敵と見なして暗殺計画に加担し、袁紹にも曹操との戦を促した

これだけを見ると、まさに劉備にゾッコンだった曹操に対し、劉備は曹操を利用するだけ利用して結局裏切ったように見えます。

しかし曹操が病死した際にはその死を悼み、劉備が弔文を贈ったという話もあるのです。

最後はいがみ合うことになってしまった二人でしたが、やはりライバルとしては劉備も曹操を認めていたということでしょうか。

 

曹操孟徳の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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