蘇我蝦夷のお墓はどこにある?

 

飛鳥時代の有力豪族として、

政治を独占した蘇我蝦夷ですが、

現在はどのような墓に眠っているのでしょうか。

今回は、蘇我蝦夷の墓についてご紹介します。

 

蘇我蝦夷とはどんな人物?

蘇我蝦夷は飛鳥時代の有力豪族です。

蘇我馬子の息子で入鹿の父親に当ります。

蘇我馬子から権力を引き継ぎ、
政治の実権を握りました。

蘇我蝦夷の死

645年、乙巳の変にて息子の蘇我入鹿が

中大兄皇子らに殺害された翌日、

自邸に火をつけ自害しました。

 

蘇我蝦夷と墓のエピソード

聖徳太子や推古天皇の死後、

蘇我馬子が政治の実権を握ります。

蘇我馬子から権力を引き継いだ蘇我蝦夷は
次第に横暴な振る舞いをするようになりました。

蝦夷の横暴な振る舞いを示すものとして
墓の造営のエピソードがあります。

蘇我蝦夷は、聖徳太子の息子である山背大兄王の私民を勝手に
使用し、墓を2つ造りました。

大きい方は自分用に「大陵(おおみささぎ)」と呼ばせ、
小さいほうは息子の入鹿のものとして「小陵(しょうみささぎ)」と呼ばせました。

そもそも「」という字は、天皇の墓を意味するものです。

蝦夷は墓のほかにも、
自邸を「宮門(みかど)」と呼ばせるなど、
あたかも自分が天皇であるかのように振舞いました。

 

蘇我蝦夷は小山田古墳?菖蒲池古墳?

小山田古墳

蘇我蝦夷のお墓として有力視されているのが、
奈良県明日香村にある小山田古墳です。

小山田古墳は国内最大級の方墳(ほうふん)で
一辺約70メートルにとなります。

蘇我蝦夷の墓と推測されている理由としては、
蝦夷の自邸がある甘樫丘(あまかしのおか)に近いことや
出土品の瓦が蘇我氏由来の豊浦寺(とゆらでら)のものと
同じタイプのものであることが挙げられます。

さらに、近隣にある菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)が
「小陵」と呼ばせた、入鹿の墓ではないかといわれています。

小山田古墳
住所:奈良県高市郡明日香村川原410

菖蒲池古墳

小山田古墳は舒明天皇(じょめいてんのう)のもので、
菖蒲池古墳に入鹿と一緒に
埋葬されている説もあります。

乙巳の変後の蘇我氏の状況を考えると
大規模な小山田古墳に蝦夷が埋葬されることは考えられないことや、
菖蒲池古墳から精巧な石棺が2つ発見されていることから
こちらに入鹿と蝦夷の2名が埋葬されているのではないかというのが
その理由です。

現在、この論争に決着がついておらず蘇我蝦夷の墓は確定していません。

菖蒲池古墳
住所: 奈良県橿原市菖蒲町

 

近くにはどんな古墳がある?

小山田古墳や菖蒲池古墳の付近には
有名な古墳が多くあります。一部ご紹介します。

石舞台古墳

石舞台古墳は蘇我蝦夷の父親、
馬子の墓として有力視されています。
露出した石室が特徴で、女人に化けた狐が
この古墳の上で舞いを舞ったという伝説から
「石舞台古墳」という名前がつけられたといわれています。

石舞台古墳
住所: 奈良県高市郡明日香村島庄254

高松塚古墳

700年前後に造営された円墳です。
埋葬者は天武天皇の皇子や、臣下、
また朝鮮半島の王族などが候補に挙げられています。

極彩色の壁画が発見されたことで注目を浴びました。

次々と発掘関係者が謎の死を遂げたことがあり、
一時期「高松塚古墳の呪い」として、騒がれました

高松塚古墳
住所: 奈良県高市郡明日香村平田439

キトラ古墳

こちらも700年前後に造営された円墳です。
埋葬者はわかっていませんが、
出土品から高松塚古墳よりも
身分が低い人物ではないかと言われています。

天文図や四神(青竜 朱雀 玄武 白虎)が描かれた壁画が
有名です。

高松塚古墳と共に、保存事業が行われています。

キトラ古墳
住所: 奈良県高市郡 明日香村阿部山

 

きょうのまとめ

蘇我蝦夷の墓を紹介しました。

いかがでしたでしょうか。

簡単にまとめると

① 蘇我蝦夷は飛鳥時代の有力豪族。

② 生前は大きな墓を造り、天皇のように振舞った。

③ 蘇我蝦夷の墓の候補は小山田古墳と菖蒲池古墳である。

④ 小山田古墳と菖蒲池古墳付近には、他にも有名な古墳が多い。

最後までお読みいただいてありがとうございます。

非業の死を遂げた蘇我蝦夷ですが、
現在は安らかに眠ってくれることを祈ります。

歴史に想いを馳せつつ、
古墳巡り楽しむのも良いかもしれませんね。

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