聖武天皇が大仏を作った理由は自分を責めたからだった!?

 

奈良の大仏さまは、修学旅行などで一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

大仏建立を命じたのは、今から1300年ほど前に即位した

聖武しょうむ天皇でした。

聖武天皇はなぜ、あんなに大きな大仏を作らなくてはならなかったのでしょうか。

そこで今回は、聖武天皇が東大寺に大仏を作った理由について説明します。

 

聖武天皇が奈良の大仏を作った理由

大仏を作った理由には、当時の社会情勢が大きく関係しています。

広がる社会不安

聖武天皇の在位期間は724~749年。

その間、日本国内には社会不安が広がっていました。

 

例えば、

  • 大地震(734年・745年)
  • 大飢饉(733年)
  • 天然痘の大流行(735~737年)
  • 藤原広嗣の乱(740年)

などです。

天然痘は庶民の間だけでなく、貴族たちの間でも猛威をふるいました。

当時、権力を握っていた藤原不比等の子である藤原四子

武智麻呂むちまろ

房前ふささき

宇合うまかい

・麻呂

の4兄弟も全員がわずか3カ月の間に亡くなるという異常事態。

そこへ追い打ちをかけるように、藤原宇合の子・広嗣が、藤原四子の次に権力を握った橘諸兄たちばなのもろえ政権に対して反乱を起こします(藤原広嗣の乱)

世の中が大混乱であったことは、想像に難くありません。

聖武天皇の政治がダメだから?

さて、「天人相関説」をご存じでしょうか。

天人相関説は古代中国で生まれた思想ですが、古代の日本にも影響を与えました。

これによると、社会不安を招く原因は君主の不徳にある、と考えます。

すなわち、聖武天皇の政治が悪いから上記のような天変地異が起こったと考えられるわけです。

聖武天皇も社会の混乱は自分の責任であるとし、周囲の人間もそう信じていました。

そこで聖武天皇は741年に国分寺建立の詔(国家の平安を祈らせるため、国ごとに寺と尼寺をつくるように命じたもの)を、743年には大仏建立の詔を発しています。

自身が帰依きえする仏教の力でどうにかして国を安定させようと、大仏を作ったのでした。

聖武天皇の必死さが伝わってきますね。

 

きょうのまとめ

今回は聖武天皇が東大寺に大仏を作った理由について、

簡単に紹介しました。

① 聖武天皇の在位期間は天変地異が相次いだ

② 天変地異の原因は自分の政治が悪いからだ、と聖武天皇は考えた

③ 仏教の力で国を安定させようとして、大仏を作った

こちらのサイトでは他にも、聖武天皇にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。

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