平安時代中期に、一条天皇の中宮定子に仕えた女房
清少納言の随筆『枕草子』。
今にも読み継がれている、鋭い感性と知的なウイットの名作、そして超ロングセラーです.
実は、その裏には清少納言の複雑な思いと決意があったことをご存知ですか?
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『枕草子』とは
ちょっと教科書的ですが、この作品の概要です。
『枕草子』の概要
平安時代中期に、一条天皇の中宮定子を中心とした後宮に出仕していた、女房・清少納言の見聞や体験、感想などが記された随筆。
全部で300段ほどあり、その内容は大きく下記の3つに分けられます。
随想章段: 「春はあけぼの」に代表される日常生活や四季の自然を観察したもの
回想章段: 作者が出仕した中宮定子周辺の宮廷での思い出を綴ったもの
「をかし」の文学
同時代の『源氏物語』は登場人物の心情に深く入り込んだ「あはれ」を描いた文学と呼ばれました。
『枕草子』は軽妙な筆致で明るく、知的で新鮮な喜びを描いた「をかし」の文学と呼ばれます。
美しいな、かわいいな、こんなこともあったんだ、といろいろな事柄を認識しながら「いとをかし」としたためる清少納言。
その着眼点、鋭さ、ウイット、優しさ、そして作者があえて書く意地悪さまでを素直に楽しめる作品です。
登場人物の華やかさ
『枕草子』には、当時きっての豪華セレブもどんどん登場します。
中宮定子、一条天皇、藤原道長をはじめとする「歴史上の人物」たち。
彼らは確かにその時代を生きた生身の人間たちでした。
激しく同感!『枕草子』にあるホンネ
『枕草子』は書かれた背景や、登場人物たちの政治的な立場など、深読みすればきりが無いくらい深い作品です。
でも、そんな知識なしでも『枕草子』はあなたの共感を呼ぶ箇所が沢山あって面白い!
例えば、
「 上品なものといえば・・・ 」
蜜をかけて食べるかき氷を金の椀にいれたもの、可愛い小さなこどもが莓などを食べる姿。
「 憎らしいものといえば・・・ 」
忙しい時に限ってやってきて長話をする客。硯に髪の毛が入ってるのを気付かずに墨をすってしまうこと。
「 しゃくにさわるものといえば・・・ 」
急ぎで縫っている着物が「出来た!」と思って針を抜いたら、玉留めをしていなくて糸が全部抜けること。裏返しに縫っているのに気づくこと。
「 説教するお坊さんはハンサムに限る 」
だって、お坊さんの顔に見とれているからこそ仏法のありがたみも分かるというもの。ぶさいくなお坊さんだったら、ちゃんと話しを聞かない気がして・・・。
「 細身の男がいい 」
雑色、随身、身分の高い男性も、若いうちは細身の方がいい。太っているのは眠そうに見えちゃう。
なんともあけすけなホンネの山!
『枕草子』の謎に挑戦
1000年以上も前の作品である『枕草子』には未だ解決していない謎もあります。
最大の謎「なぜ『枕草子』が書かれたか」を含め、まだ研究中のテーマもありますが、現段階での解釈を交えてご紹介します。
『枕草子』の題名の由来?
ある時、定子に内大臣の兄・藤原伊周から白紙を綴った冊子が献上されました。
何を書くかを考えていた定子に、清少納言が冗談で「枕にしたい」といったのです。
・「枕」とは歌枕の意味、もしくは人に見せない草子や備忘録の意味
など解釈が分かれています。
しかし、とにかくそう言った清少納言に、定子は「ならば受け取りなさい」と、当時大変高価だった白紙の冊子を与えました。
そして書かれた随筆は『枕草子』と呼ばれるようになったということです。
なぜ清少納言は『枕草子』を書いたのか
「定子のため説」
ですから、『 枕草子 』のような魅力的な作品を書いて、朝廷に仕える人々の注目を一条天皇の后である定子に集める必要があった、と言う説です。
「定子やその家族の安らぎのため説 」
しかし、最近はさらに深く掘り下げた理由が研究されています。
『枕草子』の執筆時期は2つに分かれています。
最初は、中宮定子が政治的に窮地に陥り、全ての歯車がおかしくなってきたころ、次は定子の死後です。
つまり執筆時期は、定子の栄華の時期を過ぎた後のことでした。
実は清少納言は、定子を第一の読者にして、つらい状況の彼女を元気づけようとしたのです。
また定子の死後は、彼女の華やかな記憶を残された家族と共有し、定子の鎮魂のために作品を書いたのが執筆の真の理由だ、とも考えられています。
清少納言の決意
作品の中には決して中宮定子の苦しい立場、悲しむ様子、零落していく定子サロンについて書かれることはありません。
『枕草子』を書く理由が何であれ、清少納言は定子についてネガティブなことは一切「書かない」と強く心に決めていました。
定子と対立関係にあった彰子のことすら書きません。
ですから、定子の「闇」は『枕草子』には存在しないのです。
なぜ藤原道長は『 枕草子 』つぶさなかったのか
藤原道長は、もう一人の一条天皇の后・彰子の父親でした。
定子の生前は自分の娘彰子のライバルである彼女に執拗な嫌がらせをした父親。
しかしその定子が崩御した後、道長は定子の怨霊による報復を畏れ、ひたすら鎮魂を願ったそうです。
だからこそ、定子を賛美する『枕草子』は道長という反対勢力の権力者にもつぶされず、むしろ受け入れられて生き残ることができました。
きょうのまとめ
『枕草子』は、本当はちっとも楽しくない状況の中で書かれた作品でした。
そして、上記の理由が本当なら、作品のからっとした明るさの背後に悲しい事実と清少納言の計算がありました。
「嘘」は書いていない。
でも清少納言は「目の前に起きたことの全て」も書かなかった、ということ。
ここに、定子サロンのナンバー・ワン女房の矜持があります。
『枕草子』は、一人の女房の宮仕えエッセイではなく、藤原摂関時代の全盛期にあった歴史を証言する一つの形だったのではないでしょうか。
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