幕末は日本史の中でも特に人気の高い時代ですから、
三条実美という人物の名前を一度は聞いたことがあると思います、
ですが名前は知っているけど、
具体的に三条実美とはどんな人物だったのか聞かれるとちょっと・・・という方も多いはずです。
そこで今回は、三条実美の生涯について簡単にご紹介していきます!
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三条実美はどんな人?
- 出身地:京都
- 生年月日:1837年3月14日
- 死亡年月日:1891年2月18日(享年55歳)
- 尊王攘夷派公家の中心的存在で長州藩と密接な関係を持つ。明治新政府の首脳の一人。
三条実美 年表
1837年(1歳)京都に生まれる。(幼名 福麿)
1862年(27歳)姉小路公知とともに勅使として江戸へ。
1863年(28歳)八月十八日の政変をきっかけに長州に下る。
1868年(32歳)議定に就任。
1871年(35歳)太政大臣に就任。
1873年(38歳)征韓論をめぐる政府内の対立が原因で倒れる。
1885年(50歳)右大臣に就任。
1889年(54歳)内閣総理大臣を兼任(三条暫定内閣)。
1890年(54歳)貴族院議員となる。
1891年(55歳)インフルエンザで死去。
上流公家出身の尊王攘夷派から明治新政府の太政大臣へ
1837年、三条実美は三条実万の三男として誕生しました。
三条家は藤原北家の分家で五摂家に次ぐ名家です。
長男は素行不良のため、廃嫡されています。
そして、次兄の公睦が若くして亡くなってしまったことから、実美は三条家を継ぐことになりました。
尊攘派の公家として活躍
父の実万は尊王攘夷派として知られており、安政の大獄では謹慎処分を受けています。
そんな父のもとへ勤王派の志士たちが出入りしているのを、実美は幼少期から見ていたといいます。
父は謹慎先で亡くなりますが、京都で力をつけていた長州藩と手を結んだ実美は、尊王攘夷派公家の中心的人物として活躍を始めます。
実美は姉小路公知と江戸に赴き、第14代将軍の家茂に対して攘夷を督促することに成功しています。
八月十八日の政変で追われる身に
ですが、このような動きを良く思わないグループがいました。
幕府と朝廷が連携することによって、政局を安定させようと考えていた公武合体派と呼ばれる人々たちです。
そんな中、1868年8月18日、京都で大きなクーデターが起こります。
会津藩や薩摩藩(当時)といった公武合体派の藩と朝廷内の公武合体派が組んで、
長州藩やその他の急進的な尊王攘夷派たちを京都から追放したのでした。
この出来事はクーデターが起こった日付から、八月十八日の政変と呼ばれています。
実美もこの事件の影響を受け、京都を脱出して長州へと落ち延びます。
その後、さらに九州の太宰府で幽閉生活を送るなど、実美にも不遇の時代があったのです。
王政復古で政治の表舞台へと復帰
1867年の王政復古後、再び実美は政治の表舞台へと復帰します。
議定に就任、そして1871年から75年の間は太政大臣に就任します。
やがて太政官制から内閣制度に移ると、内大臣に就任します。
その後政治の第一線から退くも、明治天皇を補佐しています。
1891年、インフルエンザで危篤状態となり死去、実美は55歳で人生の幕を下ろしました。
そして現在、三条実美は東京文京区の護国寺に眠っています。
初代内閣総理大臣になれなかったのは語学力が原因だった!?
初代内閣総理大臣といったら、伊藤博文ですよね。
伊藤博文は長州の足軽出身、自身の能力で出世した人物です。
素晴らしい政治家の一人ではありますが、当時はまだ家柄などが重んじられる時代に初代内閣総理大臣になるとは驚きですよね。
実は初代内閣総理大臣の有力候補として、三条実美の名前が挙がっていたといいます。
冒頭でもご紹介しましたが、実美は公家の中でも名家の生まれでした。
さらに、内閣制度が創設される以前、太政大臣を務めていた人物です。
初代内閣総理大臣になっても、なんらおかしくないと考えられます。
しかし、井上馨の一言が、
議論の流れを変えたといいます。
これからの総理は外国からの電報ぐらい読めなくては
伊藤博文はロンドンへの留学経験もあり、欧米の政治・文化への研究を行っていたそうです。
また伊藤は調整力も高く評価されていたため、新時代のリーダーとして期待されたということです。
ということで、三条実美は語学力や欧米への興味が足りなかったため、初代内閣総理大臣の座を逃したともいえます。
ただ実美の性格から、果たして総理大臣になりたかったのかは疑問が残りますが・・・。
きょうのまとめ
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
三条実美とは?
① 上流公家で尊王攘夷派の家系に育った
② 同じく尊王攘夷派の長州藩と深い関わりを持っていた
③ 明治新政府では初代太政大臣など、要職を務めていた
④ 初代内閣総理大臣の座を逃した理由は語学力だったのかもしれない
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