三条実美の子孫は誰?家系図を見てみるとすごい家柄だった

 

尊王攘夷派の公家で、政治家でもあった

三条実美(さんじょう・さねとみ)。

明治新政府では太政大臣を務めるなど、

幕末を語る上では欠かせない存在です。

そこで今回は、

三条実美の先祖や家族、子孫の方々についてご紹介しています。

 

三条実美の家系図

まずは、三条実美の家系図をみていきましょう。

家系図

三条実美の先祖・家族・子孫について

とってもすごい三条家

そもそも三条家とは、
藤原北家閑院流嫡流というお家柄です。

といっても、ピンと来ないと思いますので、
順を追って説明します。

まず、藤原北家(ふじわらほっけ)というのは、
かつて朝廷で力を持っていた一族です。

大化改新で有名な中臣鎌足の息子・藤原不比等(ふじわらのふひと)の子のうち、
房前(ふささき)から始まる家です。

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

と詠んだことで有名な藤原道長と、

十円硬貨でもお馴染み、
京都府宇治市にある平等院鳳凰堂を造営した
藤原頼通(ふじわらのよりみち)親子も藤原北家です。

そして閑院流(かんいんりゅう)というのは北家の支流で、
藤原道長の叔父・藤原公季から始まる家柄です。

そして院政が行われていた時期には、
閑院流は娘を天皇に嫁いで外戚という立場になり、
強大な力を持っていた一族でした。

院政とは、天皇の位を譲った上皇が行った政治のことをいいます。

三条家はそんな閑院流の嫡流、
つまり本家の血筋ということです。

三条家のすごさ、

わかっていただけたでしょうか。

三条実美の家族はどんな人たちだったの?

それでは、
三条実美の家族にはどんな人たちがいたのでしょうか。

実美の父・三条実万(さねつむ)は尊王攘夷派でした。

そのため、
安政の大獄では処分を受けました。

安政の大獄とは、1858~59年、幕府の大老・井伊直弼によって行われた政治的弾圧のことです。

ちなみに、
京都には三条実万と三条実美をおまつりしている
梨木(なしのき)神社という神社があるそうです。

また、実美には三条公睦(きんむつ)、
河鰭実文(かわばた・さねふみ)という兄弟がいました。

本来、三条家は公睦が継ぐはずでしたが、
27歳という若さでこの世を去ってしまいます。

そこで実美が継ぐことになったのですが、
公睦の子・公恭(きんあや)を跡継ぎにしようと考えていたそうです。

しかし当の公恭は素行が悪かったため、
実美の実子が家督を継ぐことになったようです。

どんな家であっても、
問題児はいるみたいです。

三条実美の子孫には誰がいる?

三条実美の子孫には、
どういった方がいらっしゃるのでしょうか。

調べてみたところ、
三条公輝さん・三条実春さん・東三条公美さんという三名の方が見つかりました。

まず三条公輝(きんてる)さんは実美の息子にあたり、
宮内省皇后宮主事や皇太后宮事務官と、
やはり皇室関係の仕事をされていたようです。

また三条実春さんは公輝さんの息子で、
実美の孫にあたる人物です。

陸軍中尉公爵、
そして平安神宮宮司や春日大社宮司も務めていたようです。

平安神宮は平安京に遷都(せんと)した桓武天皇や、
幕末の孝明天皇をおまつりしている神社です。

やはり皇室との縁が深いようですね。

そして三条公美(きみよし)さんは実美の息子で、
分家して東三条を名乗っていましたが、
のちに三条家の家督を継ぐことになった人物です。

公美さんは貴族院議員を務めていたようです。

さすが幕末の政治家・三条実美の子孫といったところでしょうか。

 

きょうのまとめ

今回は三条実美の先祖・家族・子孫についてご紹介しましたが、

いかがでしょうか。

簡単にまとめると

① 先祖は院政期、天皇の外戚となってかなりの力を持っていた

② 父は尊王攘夷派、甥は素行が悪かった

③ 子孫は皇室関係や政治に携わっていた

といえます。

こちらのサイトでは、他にも幕末についての記事をわかりやすく書いています。

興味のある方は、ぜひご覧になってくださいね。

 

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