大隈重信の右足はホルマリン漬けに!吹っ飛ばされた理由と犯人をまさかの賞賛

 

大隈重信は義足を使用していたことをご存知でしょうか。

彼はとある事件に遭遇し、右脚を失っていたのです。

そこで今回は大隈重信が右脚を失った理由などについて、簡単にご紹介していきます。

 

条約改正案の流出

条約改正は明治政府の悲願!

幕末に結ばれた不平等条約

一方的な最恵国待遇※を認めなければならず、輸入品にかける関税の税率を自主的に決めることができませんでした。

さらに外国人が日本で犯罪を犯しても、日本の法律で裁くことはできなかったのです。

最恵国待遇とはある国と結んだ条約の内容が、他の国と結んだ条件よりも有利である場合、 他の国にも同じ条件を与えることをいいます。日本は相手国にこの待遇を与えるだけでした。

世界の各国と結んでしまったこれらの条約は、その後誕生した明治新政府をも苦しめました。

不平等条約の改正は、近代国家を目指した明治政府の悲願だったのです。

外務大臣に就任した大隈の秘策とは

しかし、なかなか改正の交渉がうまくいかない中、大隈は外務大臣に就任しました。

大隈はそれまで条約締結国のすべてを集めて行っていた改正交渉を、各国別に交渉するという方法に切り替えました。

その結果、アメリカ・ドイツ・ロシアが改正条約に調印したのです。

ですが、この改正条約には日本側の妥協もありました。

大審院(現在の最高裁判所に相当)に外国人判事を置くという条件が含まれていたのです。

このことが国内にバレると、反発は必至。

そのため、交渉は水面下で進められていました。

しかし1889年4月、イギリスの新聞・ロンドンタイムズにその内容が掲載されてしまいます。

そして日本国内には、大隈に対する非難の声が巻き起こったのでした。

 

爆弾テロに遭う

明治22(1889)年10月18日、外務省前。

閣議を終え、馬車で官邸へと戻ろうとしていた大隈に悲劇が襲いました。

乗っていた馬車に爆弾が投げつけられ、大隈は右足を負傷します。

すぐに官邸内で手術を受けたものの、右足膝上より切断を余儀なくされました。

爆弾テロの犯人は国粋主義者の来島恒喜くるしまつねき

右翼団体・玄洋社のメンバーで、条約の改正内容に強い不満を持った人物でした。

襲撃後、来島はその場で短刀でのどを突いて自殺しています。

 

右足はホルマリン漬けにして保存

なんと、このとき失った右足はホルマリン漬けにされ、今でも保存されているというのです!

現在は大隈家の菩提寺である、探しの龍泰寺りゅうだいじに保管されているといいます。

当初は大隈家にあったそうですが、病院や早稲田大学を経て今に至るそうです。

切断面が痛ましいというソレを、大隈は関係者に見せていたとかいないとか・・・・・・。

おえぇぇぇ。

 

来島の命日にはお墓参り

もしあなたなら、自分の足を吹っ飛ばした人間を許せますか?

実際に右足を吹っ飛ばされた大隈は、許すどころか賞賛までしていたのです。

外務大臣に爆裂弾をくわせる勇気は、蛮勇であろうと何であろうと感心する

さらに来島の命日には、妻・綾子とともにお墓参りを欠かさなかったとか。

大隈重信・・・・・・器が大きすぎます。

 

きょうのまとめ

今回は大隈重信暗殺未遂事件にまつわるエピソードをご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

① 秘密裏に進めていた条約改正案をロンドンタイムズにばらされた

② 来島恒喜による爆弾テロによって大隈は右足を切断した

③ 右足はホルマリン漬けにされ、大隈家の菩提寺に保存されている

④ 大隈は来島恒喜を恨むどころか賞賛、命日にはお墓参りまでしていた

こちらのサイトでは、他にも大隈重信にまつわる記事をわかりやすく書いています。

ご興味をお持ちの方は、ぜひご覧になってくださいね!

 

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