大久保利通は今では考えられないほどの子だくさんで、
八男一女の父親でした。
そんなに多くの子を残していたら、
現在も活躍されている子孫の方がいるのではないでしょうか。
家系図を見ていたらなんと、あの人の名前も見つかりました。
そこで今回は、大久保利通の家族や子孫について簡単にご紹介していきます。
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大久保利通の家系図
大久保利通
出典:Wikipedia
まずは、大久保利通の家系図をみてましょう。
よく知る人物がでてきますね。
華麗なる一族・大久保家
大久保利通の子どもたちの功績を調べていくと、
実に華麗なる一族であることがわかりました。
それでは、まぶしすぎる利通の子どもたちをご紹介しますね。
大久保利通の息子たち
長男である利和は、父親の勲功によって華族になっています。
次男の伸顯(以下「伸顕」)は利通の従姉の嫁ぎ先であった、牧野家の養子に入ります。
そうです、日本史に詳しい方はご存じだと思いますが、彼が牧野伸顕です。
牧野伸顕については、後で詳しくご紹介しますね。
そして三男の利武はアメリカとドイツに留学後、西郷従道や松方正義の秘書官などを務めます。
さらに内務省や農商務省では局長を務め、
鳥取・埼玉・大分の県知事を歴任、そして大阪府知事まで務めています。
一番下の利賢は、父の利通が暗殺されたときにはまだお腹の中にいたそうです。
そんな利賢ですが、戦前には横浜正金銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の頭取を務めています。
さらに首相や外務大臣を務めたことでも有名な、
高橋是清の娘と結婚しています。
とてもキラキラした家系ですね!
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莫大な借金を残した大久保利通
大久保利通は意外なことに、
大きな借金を家族に残して亡くなっていたのです。
その額は8,000円、
現在の価値でいうと1億とも2億とも言われます。
そんな大金を大久保は何に使っていたかというと、
やはり国の発展のためだったようです。
日本の農業を近代化させるねらいで、
駒場農学校が設立されたときにも、
5,400円もの大金を奨学金として寄付したこともあったそうです。
大久保が紀尾井坂の変で凶刃に倒れたとき、
明治天皇からは祭祀料のほかに3万円を下賜されたようです。
遺族にとっては、大変ありがたかったことでしょう。
次男・牧野伸顕は政治家として有名
先ほど少しご紹介しましたが、
大久保利通の次男が牧野伸顕です。
牧野家は子供を戊辰戦争で亡くしてしまい、
伸顕が養子に入ることになったのです。
伸顕は優秀で、イタリアやオーストリアの駐在公使を務め、
さらに外務大臣や宮内大臣などを歴任しました。
さらに1919年のパリ講和会議(第一次世界大戦後、フランスのパリで開かれた平和会議)には西園寺公望とともに日本全権として出席しました。
そして、のちに内務大臣も務めます。
伸顕の長女である雪子は、
戦後においてサンフランシスコ平和条約の締結などを行った吉田茂元首相へ嫁いでいます。
麻生太郎元首相も大久保利通の子孫だった
そして吉田茂の三女・和子と麻生太加吉との間に生まれたのが、
麻生太郎元首相です。
麻生元首相はお金持ちであることはご存じの方も多いでしょうが、
まさか大久保利通と血がつながっていたとは驚きですね。
きょうのまとめ
今回は大久保利通の家族・子孫たちについてご紹介しましたがいかがでしょうか。
大久保利通の
① 息子たちの功績もすごい
② 特に次男の牧野伸顕はパリ講和会議の全権を務めたことでも有名
③ 子孫には、たどっていくと麻生太郎元首相もいた
といえます。
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ご興味をお持ちの方は、ぜひご覧になってくださいね!
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