大久保利通と西郷隆盛の揺るがない関係!西南戦争ではあの名言も

 

ともに薩摩藩(現在の鹿児島県)出身であり、

維新の三傑とも称される大久保利通と西郷隆盛。

イメージも対照的であり、何かと比べられがちな二人の偉人です。

今回はそんな二人の関係について、簡単にご紹介していきます。

 

二人はご近所さんだった

大久保利通は文政13(1830)年、
薩摩国鹿児島城下高麗町(こうらいちょう)に生まれます。

そして幼少期に、
同じく鹿児島城下の下鍛冶屋(しもかじや)町に移住します。

一方の
西郷隆盛は文政10(1827)年、
その下鍛冶屋町に生まれています。

なんと二人は同郷どころか、
ご近所さんだったのです。

当時の二人の家の地図を見てみると、
通りが一つ違うだけです。

さらに二人とも生まれた家の格は低く、藩士の中では最下層の位でした。

その後成長した二人は、
それぞれ役職に就きます。

西郷は農民の声を直接聞くことのできる郡方書役助(こおりかたかきやすけ)に、

対して大久保はいわゆる事務方であった記録所書役助となるのです。

この頃から、なんだか対照的な二人ですね。

 

島から西郷を呼び戻した大久保

若い頃の西郷は、
上司との人間関係がうまくありませんでした。

その上司とは島津久光(しまず・ひさみつ)という人物で、当時の薩摩藩主の父であり、藩の実権を握っていました。

島津斉彬を尊敬していた西郷

そして久光の腹違いの兄に、島津斉彬(なりあきら)という人物がいました。

斉彬は非常に頭の良い人物として、
当時から知られていました。

西郷はその斉彬の目に留まって出世をしたということもあり、たいへん忠義を尽していたのです。

そんな斉彬が急死したとき、
西郷は非常に悲しみに暮れていたといいます。

島津久光とは仲が悪かった

西郷は偉大すぎた斉彬の存在もあってか、

久光とはまったく反りが合わなかったことでも有名です。

久光が京で幕府改革をすると言い出した際には、

あなたには無理ですと言ってしまったそうです。

時には、久光の命令を無視したりということもあったそうです。

とうとう久光が怒ってしまい、
西郷は島流しとなってしまいました。

島での生活は数年にも及んだそうです。

大久保たちのおかげで島から脱出

しかし、遂に西郷は再び鹿児島へと帰還します。

西郷を呼び戻すよう、久光に働きかけた人物・・・それが大久保利通たちでした。

久光を必至になって説得する大久保の姿を、想像してしまいますね

西郷は、大久保利通にかなりお世話になっていたようです。

 

大久保、西郷から非難されるも・・・

多くの血が流れた結果、
明治新政府が誕生しました。

大久保利通と西郷隆盛は、
そろって新政府の参与という役職に就きました。

鹿児島に帰ってしまった西郷

しかし西郷は戊辰戦争が落ち着くと、故郷の鹿児島へと戻ってしまいました。

それに対して大久保は、当時はいつ倒れるかもしれないような新政府を強い政権にするため、力を尽くしました。

これまた、対照的な二人の姿が見えますね。

さらに地元に帰った西郷は、こんなことを言い出します。

朝廷の役人は何をしているのか。高い給料を貪(むわぼ)り、大名屋敷に住んで、なにひとつ仕事をしていない。悪く言えば泥棒である。

いわゆる政府高官、
つまり大久保たちへの批判です。

大久保としては一生懸命仕事をしているのに、

こんなことを言われてしまっては、辛い気持ちになりますよね。

自ら説得に行った大久保

しかしその頃の大久保は、中央集権化を進めるために廃藩置県を断行する必要があると考えていました。

ですが、それは今まで存在してきた”藩”をなくすため、

士族たちからの反発は避けられないものと思われていました。

そこで大久保は西郷の力を借りようと、

自ら説得しに鹿児島まで赴(おもむ)いたのでした。

西郷は一度はこの誘いを断りましたが、

結局は受け入れます。

そして廃藩置県は何ごともなく、スムーズに実行されたのでした。

 

西南戦争で遂に両者は激突

お互いにすれ違うことはありましたが、

二人の志は根っこの部分で繋がっていたと思われます。

大久保と西郷は、間違いなく「盟友」であったということです。

ですが1877年、両者が真正面から激突しなくてはいけない状況になりました。

明治政府に不満を持っていた士族たちが西郷を担ぎ上げ、戦争となったのです。

これにより西郷隆盛は、逆賊(ぎゃくぞく。主君に反逆した者)となってしまいました。

そして大久保はなんと、京で政府軍を指揮する立場となったのでした。

こうして全面対決となった両者でしたが、西郷隆盛が自決した知らせを聞いた大久保は、

おはんの死と共に、新しか日本がうまれる。

強か日本が・・・

と言って、号泣したそうです。

 

きょうのまとめ

今回は明治維新のヒーロー・大久保利通と西郷隆盛の関係について、簡単にご紹介しました。

大久保利通と西郷隆盛は、

① 幼少の頃は近所に住んでいた

② 大久保利通は島流しになっていた西郷を呼び戻すため、島津久光を説得した

③ 西郷隆盛は明治政府の高官を批判したが、大久保は西郷に力を借りに行った

④ 西南戦争では敵味方に分かれるも、西郷が死を知ったとき大久保は号泣した

といった関係のようです。

こちらのサイトでは、他にも大久保利通や西郷隆盛にまつわる記事をわかりやすく書いています。

興味のある方は、ぜひご覧になってくださいね。

 

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