大久保利通も悩み苦しんでいたことがわかる名言3選

 

薩摩藩に生まれ、明治維新に大きな功績を残した大久保利通

そういえばもう一人、
同時期に薩摩藩に生まれた有名人がいますよね。

そうです、西郷隆盛です。

ところが西郷に比べると、
大久保利通の人気はそれほど高くないのが実情のようです。

冷徹、孤高(ここう)、さらには独裁者というイメージすらあるようです。

しかし大久保利通の人生と彼の残した言葉を照らし合わせてみると、人間としてのリアルな悩みを感じることができるのです。

 

大久保利通の名言3選

ということで今回は、
大久保利通の残した名言について簡単にご紹介していきたいと思います。

もしかしたら日常生活の中では、

西郷隆盛の残した言葉よりも大久保利通の言葉の方が役に立つのかもしれません。

今日のままにして瓦解(がかい)せんよりは

 

今日のままにして瓦解(がかい)せんよりは、むしろ大英断に出て、瓦解いたしたらんにしかず

瓦解(がかい)とは、
一部が崩れたら全体が崩れるという意味です。

では、この大久保利通の言葉で「 瓦解 」するものとは何を指しているのでしょうか。

答えは明治新政府、
さらには日本という国のことを表しています。

明治時代に入り、
大久保利通は重要な決断を迫られていました。

それまであった「 藩 」を廃して、新しく「 県 」を置くという「 廃藩置県 」を行うかどうかという決定です。

なぜ廃藩置県を行う必要があったかというと、

日本を中央集権国家にするためでした。

中央集権とは、政府に権力がある状態のことをいいます。

当時、中央集権化することで日本をより強い国にして、

他国の植民地になることを防ぐべきだと考えられていました。

そして強い日本を作るために必要な方法こそ、

各藩が持っている財力と軍事力を明治政府に集中させる「 廃藩置県 」だったのです。

国にとってはいいことかもしれませんが、

藩主や藩に仕えてきた人たちはどう思うか想像してみてください。

あなたなら、黙ってお金と兵を渡すでしょうか?

大久保利通は悩みました。

廃藩置県を行わずこのまま中央集権化できないのなら、

日本は外国の植民地になるかもしれない。

しかし廃藩置県を行えばそれを良く思わない藩が反乱を起こすかもしれない。

タイトルの言葉は、
こういった状況になってしまったときの大久保の言葉です。

このままにしておいたらどうせダメになるだけだから行動を起こそう。

それでダメなら仕方がない、というような感じでしょうか。

このようにして大久保が決断して行われた廃藩置県ですが、

諸藩からの反発を受けることなく無事に成功したのでした。

目的を達成する為には

目的を達成する為には人間対人間のうじうじした関係に沈みこんでいたら物事は進まない。

そういうものを振り切って、前に進む。

この言葉を聞いて、
ドライな考え方だと思う方もいらっしゃるかもしれません。

残念ながら、
この言葉はいつの言葉であるかはわかりませんでした。

ですが大久保利通の人生を調べていくと、
人間関係で悩んでいる場面が少なくないのです。

例えば先ほどご紹介した廃藩置県の頃には、
木戸孝允とまったく別の問題で対立しており、仕事が進まないと苦しんでいたそうです。

また同じ頃、大久保の出身地・薩摩藩の権力を握っていた島津久光との関係にも悩んでいたそうです。

大業を成し遂げるためには目先の小さな問題、

それが人間関係であっても立ち止まっている場合ではないのかもしれません。

互いにそういった認識の下で物事を進めることができれば良いのですが、

現実にはなかなかうまく行きませんよね。

他者の誤解を解くことをしなかったため、

大久保には「 冷徹 」というイメージがついてしまったのかもしれません。

とはいえ成功者らしい、合理性あふれる言葉でした。

おはんの死と共に

おはんの死と共に、新しか日本がうまれる。

強か日本が・・・

ということで、公私をはっきりと区別しそうな大久保利通ですが、

最後にいかにも人間らしさを感じさせる言葉をご紹介します。

「 おはん 」とは鹿児島弁で「 あなた 」という意味だそうで、

西郷隆盛のことを指しています。

こちらは西郷隆盛が西南戦争で自害したという知らせを受けたとき、

大久保が号泣しながら発した言葉だそうです。

西郷隆盛と大久保利通は同郷であり、

ともに新しい時代を切り開いてきた盟友です。

ですが色々なことですれ違い、

西郷隆盛は明治新政府に不満を募らせていた不平士族たちに担ぎ上げられてしまいます。

すなわち、
西郷は政府の敵となってしまったのです。

敵であれ、かつての盟友の最期を耳にしたとき、

どうしようもない気持ちになったのでしょう。

実際に、西南戦争は国内における最後の内戦となり、

これ以降日本は新しい時代へと突入していったのでした。

 

きょうのまとめ

今回は大久保利通の名言についてご紹介しましたが、いかがでしょうか。

大久保利通は、

① 廃藩置県の決断時は非常に悩んでいた
 
② 大きな仕事をするには合理性が必要ということを教えてくれる

③ 西郷隆盛との友情は互いに敵となっても変わらなかった

と言えるのではないでしょうか。

こちらのサイトでは、他にも大久保利通や幕末・明治に関する記事をわかりやすく書いています。

ご興味をお持ちの方は、ぜひともご覧になってくださいね!

 

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