信長の妻・謎多き濃姫はどんな最期を遂げた?

 

斎藤道三の長女で、政略結婚のために織田信長の正室となった

濃姫のうひめ(帰蝶)。

NHK大河ドラマ『麒麟きりんがくる』でもヒロイン級の扱いで、気になっている人も多いでしょう。

しかし実のところ、史実で濃姫についてはっきりわかっているのは、「斎藤家と織田家の和睦のため、信長の正室になった」ということだけ。

どんな生涯を送ったかは謎とされ、とりわけその最期にはたくさんの推測がされています。

実際のところ、濃姫はどんな風に亡くなったのか?

推測されるいくつかの説から考えてみましょう。

 

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諸説ある濃姫の最期

濃姫の最期に対する推測はおおまかに

・斎藤義龍の美濃統一戦で亡くなった

・若くして病死した

・本能寺の変で亡くなった

・江戸時代まで生きていた

という、4つの説に分かれます。

以下よりそれぞれどんな推測か見ていきましょう。

斎藤義龍の美濃統一戦で亡くなった

織田信長
斎藤義龍は道三の嫡男ですが、ふたりの親子関係は悪く、1556年には義龍が美濃統一戦を起こし、道三を討ち取ります。

このとき道三と信長の同盟は意味をなさなくなったとし、濃姫は信長に離縁され、美濃に帰されたという説があるのです。

この説では、道三を殺した義龍を嫌った濃姫が、叔父の明智光安のもとに身を寄せたとされています。

そして光安はこの美濃統一戦で道三の側についたため、そのあおりを受けて濃姫も戦死してしまったというのです。

ただ信長は道三が義龍に攻められたときには救援に駆け付けていますし、道三が亡くなったあとも、そのかたき討ちのために義龍との戦を続けています。

それほどに信頼の厚い同盟だったのに、「道三が亡くなったからもういいや」と、濃姫を美濃に帰すようなことがあるでしょうか?

よってこの説は考えにくいとされています。

若くして病死

輿入れ以降、信長に関する史料に濃姫の名前が一切出てこないのは、彼女が若くして病没したからでは…という説もあります。

男女ともに若くして亡くなるのは珍しくない時代ですから、あり得ない話ではないでしょう。

しかしそうなると、彼女以降、信長の正室となる女性の名前が一切登場しないことが不可解です。

側室は何人もいるのだし、さすがに20歳そこそこで奥さんを亡くしたら、新しい正室を迎えますよね?

またこの説は側室の生駒吉乃いこまきつのが、信忠・信雄のぶかつ・徳姫らを産んですぐに亡くなったため、彼女と混同しているのでは…ともいわれています。

本能寺の変で信長と一緒に亡くなった


これは後世の創作でよく描かれる濃姫のイメージですね。

信長とともに本能寺に宿泊し、薙刀を持って最期まで戦う…。

岐阜市には本能寺から逃げおおせた信長の家臣が、濃姫の遺髪を埋葬したとされる濃姫遺髪塚まであります。

しかしそのことを記す史料などは残っておらず、これもあくまで民間伝承の域を出ません。

そもそも信長が本能寺に宿泊したのは、中国地方に戦をしに行く道すがらですから、濃姫を同行させているというのは現実的に考えにくいです。

後世の人たちが「信長の奥さんなのだから、強い女性がいいよね!」と、戦いのなかで死んでいく姿を想像したのでしょう。

江戸時代まで生きていた

最後は近年有力とされている「江戸時代まで生きていた」とされる説です。

1992年に歴史家の岡田正人氏が滋賀県の安土摠見寺そうけんじに所蔵されていた泰巌相公縁会たいげんしょうこうえんかい名簿』濃姫の法名が載っていることを発見。

その没年月日も1612年8月5日と記されていたというのです。

また信長に関係する史料には、濃姫の名前こそ登場しないものの、その存在を匂わせる記述はけっこう残っているんですよね。

正室を意味する「御台所」と記されていたり、または「北の方」と呼ばれる女性が濃姫だといわれたり。

1587年に信長の次男・信雄が家族構成を記した『織田信雄分限帳』では、「安土殿」という人物の存在が確認できます。

この女性も濃姫ではないかといわれています。

安土殿は織田家で与えられていた地位も非常に高く、さらにその名前も安土城にゆかりがあることを示します。

そのため、信長の正室だった濃姫がそう呼ばれていたと推測されているのです。

こういったことから、濃姫は信長が亡くなったあとも普通に生きていた可能性があり、上記の江戸時代初頭に亡くなったとする説にもつながってきます。

これが本当なら濃姫の享年は78歳…当時としてはかなりの長寿です。

ただこの説には異論もあり、名簿に載っていた法名は濃姫ではなく、側室のものだとする声もあります。

筆者は濃姫が江戸時代まで生きた説を支持したいですが、やはり名前が出てこない以上、断定するのは難しそうですね…。

 

きょうのまとめ

濃姫の最期については、やはりはっきりした史料が残っていない以上、推測に頼らざるを得ません。

江戸時代まで生きていた説が有力に感じますが、もしそうなら、信長亡き後、豊臣秀吉や徳川家康がそのあとを引き継いでいく様子を、彼女はどう捉えていたのでしょうか。

やっぱり奥さんとしては、信長に天下統一を果たしてほしかったでしょうし…。

最後に今回のまとめです。

① 濃姫には若くして病死・戦死の説があるが、信長の行動からこれらは考えにくい

② 本能寺の変で信長と一緒に亡くなったというのは、後世の人たちの創作

③ 江戸時代まで生きていた説が有力…しかし名前が出てこないので断定はできない

結局事実を知るのは濃姫とともに当時を生きた人たちだけ。

このほかにも驚くようなその後が見つかることもあるかも…?

 

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