濃姫とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

斎藤道三の長女にして、織田信長の正室という、戦国時代の女性としてはかなり重要なポジションを担った

濃姫のうひめ(帰蝶)。

魔王・信長の妻となれば人気も高く、後世の小説・ドラマなどでも引っ張りだこな人物です。

しかし史実では彼女に関する記録はほとんど残されておらず、物語における人物像はほとんどが創作に頼ったもの。

信長の側室たちと比べてもとにかく謎多き女性なのです。

しかし数少ない情報しか残っていない濃姫にも、実はその気丈な人柄を感じさせるエピソードがちらほらあります。

濃姫はいったいどんな人だったのか?

謎多き生涯から、彼女の人物像を探っていきましょう。

 

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濃姫はどんな人?

プロフィール
  • 出身地:美濃国(現在の岐阜県)
  • 生年月日:1535年
  • 死亡年月日:不明(享年 不明)
  • 美濃国守・斎藤道三の長女で、織田信長の正室。両者の板挟みに遭いながら気丈に振る舞った

 

濃姫 年表

年表

西暦(年齢)

1535年(1歳)美濃国守・斎藤道三とその正室・小見の方の長女として生まれる。

1546年(11歳)朝倉孝景と道三の和睦の条件として美濃守護となった土岐頼純ときよりずみに嫁ぐ。

1547年(12歳)土岐頼純が死亡。濃姫は斎藤家へ戻る。

1549年(14歳)大垣城を巡って織田・斎藤両家が争っていたが決着が着かず、和睦の流れに。条件として織田信長の正室となる。

1556年(21歳)父・斎藤道三が嫡男の義龍に討たれる。時期は不明だが、濃姫は道三の菩提寺・常在寺に肖像画を贈っている。

1566年(31歳)信長の美濃平定の折、斎藤義龍の後妻の自害をかばい、信長を説得する。

 

濃姫の生涯

1535年、濃姫は後に美濃国守となる斎藤道三の長女として生まれます。

濃姫?帰蝶?

明智光秀

「濃姫」という名前はいわゆる通称で、「美濃から嫁いできた姫」という意味でそう呼ばれていました。

この時代の女性は出身地や住んでいるお城がそのまま通称になるのが普通で、本名はわからないことが多いんですよね。

濃姫の本名は「帰蝶」だと思われがちです。

しかしこれも『美濃国諸旧記』という江戸時代の書物のなかに記された創作で、実際はどうだったのか定かではありません。

小説やドラマでは圧倒的に帰蝶の名が使われているので、こちらのほうがなじみ深い人も多いでしょう。

母は道三の正室・小見の方。

この女性は一説に美濃の名家であった明智家の出で、あの明智光秀の父・光綱の妹だといいます。

光秀と濃姫がいとこ同士といわれたり、創作で恋仲だったという描写があったりするのはこのためです。

父・斎藤道三の政略結婚に翻弄される

濃姫が生まれたのは丁度、父・道三が美濃国守として下克上を果たし、守護の座を巡るごたごたに身を落としていくころのこと。

幼い彼女の運命もまた、戦国の荒波に翻弄されていくことになるのです。

まず濃姫は15歳になるまでに、二度も結婚しています。

一度目は11歳のころ、父に代わって美濃守護の座に返り咲いた土岐頼純の正室として。

彼女が土岐家へ嫁いだのは、斎藤家と越前(現・福井県)の大名・朝倉家との和睦の条件でした。

美濃は代々幕府から遣わされた土岐氏が守護をしていましたが、道三は一介の商人から成り上がり、その伝統を覆した人物です。

1541年、道三を快く思っていなかった土岐氏を援助するという名目(実際は両家が道三の台頭を恐れていたからだといいます。)で、尾張の織田信秀と朝倉孝景が挙兵。

こうして道三は、

  • 土岐氏を守護に戻すこと
  • 頼純に濃姫を嫁がせること

を条件に和睦を結ぶのです。

しかしその翌年、再び織田・朝倉両家が道三討伐を目論みます。

これを知った道三は先に土岐氏の居城・大桑城を落城させ、土岐家を美濃から追い出してしまうのです。

その際、頼純は命を落とします。

結局濃姫は斎藤家に戻ることになったのだとか。

和睦の条件でいきなり素知らぬ男の嫁にされたり、かと思えばすぐに夫が殺されたり。

十歳そこそこの少女としてはもう、なにがなんだか…という感じだったでしょうね…。

和睦の条件で織田信長の正室に

夫が亡くなって生家に戻ったのも束の間。

今度は1549年、14歳のころに織田・斎藤両家の和睦の条件として、濃姫は織田家に嫁ぐことになります。

実は前述の土岐氏とのいざこざの際にも一度、濃姫を織田家に嫁入りさせる話が出ています。

結局は土岐氏に嫁がせることになってしまったため、この約束はうやむやになっていました。

しかし1547年から2年間、斎藤家と織田家は大垣城を巡って争っており、これに決着が着かなかったため、和睦する流れに。

その際、

「そういえば以前、お宅の長女を嫁に貰うって約束してましたよね?」

という話を織田家が切り出してきたのです。

こうして濃姫は織田信長の正室になります。

彼女の結婚はすべて父親の都合、すべて人質のようなものです。

丁度、道三が野心に燃えていたころに生まれてしまったのが運の尽きということでしょうか…。

斎藤家・織田家に板挟みにされながらも気丈に振る舞った

政略結婚のため、親のやりたい放題にされていた濃姫。

彼女はそんな荒波にも負けない気丈な人柄を感じさせるエピソードをいくつか残しています。

まず織田信長に嫁入りするときの話。

濃姫は道三から

「信長が何か企むようなことがあれば、この刀で信長を殺せ」

と言って、刀を授かりました。

すると彼女は

「わかりました。でも、ひょっとすると刺されるのは父上のほうかもしれませんね」

と返答したというのです。

政略結婚には応じるものの、嫁いだ先での身の振り方はあくまで自分で決めるという意志表示でしょうか…。

幼いころから国同士のいざこざに巻き込まれていたからか、このころには意志の強い女性に育っていたようです。

また濃姫が嫁入りして間もないころ、いつも深夜に居なくなる信長の浮気を疑ったところ

信長
斎藤家の家臣にスパイを紛れ込ませていて、道三を討ち取ったという狼煙のろしが上がるのを待っておるのじゃ

と信長は答えたのだとか。

すると濃姫は道三にこの旨を伝え、道三はその家臣たちを殺してしまったといいます。

織田家の人間になってからも、父の身を案じているところもまた彼女の意志の強さを表していますね。

しかし…実は信長の策略で、道三の勢力を弱体化させるための嘘だったという話も…。

これも道三が実際に家臣を処刑した記録が残っているわけではないので、定かではない説ですが。

道三亡き後も斎藤家の誇りを持ち続けた

1556年のこと、濃姫が21歳のころに斎藤道三は、嫡男・義龍の謀反に遭い戦死しています。

その際、濃姫は道三の菩提寺である常在寺に、彼の肖像画を贈りました。

幼いころから政略結婚でやりたい放題にされていた濃姫でしたが、父を敬う気持ちや、斎藤家の出であるという自覚は持ち続けていたのですね。

また1566年になると、信長が斎藤家の拠点となっていた稲葉山城を落城させ、美濃の覇権を握ります。

このとき城に居合わせた義龍の後妻と、信長のやり取りを巡ってひと悶着がありました。

信長は義龍の後妻に

信長
斎藤家が家宝にしてきた壺があっただろ。それをよこせ

と言うのですが、後妻は戦のごたごたでなくなってしまったと、これを断ります。

しかし信長がこれを信じなかったため、後妻は

「信じてもらえないのなら、私は自害するまでです」

と言ったのだとか。

すると濃姫は後妻のほうに味方をし、

「彼女が死ぬというなら、私を含む斎藤家の親族17人も全員死にます」

と言って、信長を説得してみせたというのです。

濃姫は道三を裏切った義龍を恨んでいたといいますが、その妻は無関係ということでしょうか。

いずれにしても、斎藤家がどんな立場に立たされていても、生家の誇りを捨てなかった濃姫はやはり意志の強い人物だといえます。

晩年は謎…織田家の奥方たちの秩序を保ったしっかり者だった?

以降、濃姫に関しては記録がなにも残っておらず、彼女がどんな晩年を過ごしたかはわかりません

しかしひとついえるとすれば、濃姫は織田家の女性陣の秩序を守るしっかり者だったのではないかということです。

信長には濃姫のほかにも側室がたくさんいました。

しかし、彼の生涯で女性がらみの問題は一切起きていません。

これは正室である濃姫が奥方たちのまとめ役をしっかりこなしていた証だと、しばしばいわれています。

また濃姫には子どもができませんでしたが、信長が亡くなったあとの跡継ぎの争いは一切なく、濃姫の養子になった信忠に譲られました。

織田家の女性陣のあいだでは、濃姫は誰にも有無を言わさない権力者だったのかもしれません。

もしくは非常に好かれており、誰からも信用が厚かったのか…。

いずれも強い意志をもつ彼女なら、十分にあり得る話ですね。

 

きょうのまとめ

織田信長に嫁入りして以降、ほとんどの生涯が謎に包まれている濃姫。

しかし手がかりを辿ってみると、彼女の意志の強い人柄は随所に顔を覗かせていました。

最後に今回のまとめです。

① 濃姫は10代のあいだに二度も政略結婚をさせられた。幼少期は父・斎藤道三に振り回されっぱなし

② 織田・斎藤両家の板挟みに遭いながらも、ときには斎藤家に味方するなど、その人柄には意志の強さが際立つ

③ 信長は生涯を通して、女性がらみの問題が一切なく、後継者争いもなかった。濃姫がその立役者になっていたのでは?

確証のある説は少ないですが、やはりあの信長が唯一正室にした女性です。

それだけの気概をもっていたということは、間違いないのではないでしょうか。

 

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