ゲーテとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

18世紀の後半から19世紀の前半にかけて活躍した、

ドイツを代表する文豪、

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

著書『若きウェルテルの悩み』や『ファウスト』など、

代表的な作品を多く遺している彼は、

一方で自然科学者や政治家としての顔も持っていました。

ゲーテとは一体どんな人物だったのでしょうか。

今回は彼の生涯について、その功績と共にご紹介していきます。

 

ゲーテはどんな人?

プロフィール
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

ゲーテ
出典:Wikipedia

  • 出身地:ドイツ フランクフルト
  • 生年月日:1749年8月28日
  • 死亡年月日:1832年3月28日(享年82歳)
  • ドイツを代表する文豪。小説家、詩人、劇作家、自然科学者、政治家、法律家。

 

ゲーテ 年表

年表

西暦(年齢)

1749年(0歳)ドイツ中部の町フランクフルトで裕福な家庭に生まれる。少年期は父親から英才教育を受けて育つ。

1765年(16歳)ライプツィヒ大学の法学部に入学する。

1768年(19歳)病に倒れ、フランクフルトに戻り自宅療養を余儀なくされる。自然科学に興味を持ち始め、実験器具を購入し、研究を行う。

1770年(20歳)フランスのシュトラースブルグ大学で法律の勉強をする。翌年、弁護士事務所を開業するも文学への関心が大きく、約1年後に休業。

1772年(23歳)ヴェッツラーの最高裁判所で法律事務の実習を行う。半年経たずにフランクフルトへ戻る。

1773年(24歳)『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』を知人の援助を得て自費出版。翌年、『若きウェルテルの悩み』を出版。どちらも大成功を収める。

1775年(26歳)ワイマール公国に移住。半年後閣僚になり、以後約10年の間政務を執り行う。

1782年(33歳)神聖ローマ帝国の皇帝に貴族として認められ、ワイマール公国の宰相になる。

1786年(37歳)約2年間のイタリア旅行を行う。旅行中、長年中断していた文学活動を再開する。

1790年(41歳)『トルクバート・タッソー』の完成。解剖学、植物学、光学の研究を始める。

1792年(43歳)ワイマール公国のアウグスト公爵に伴ってフランスに従軍する。

1796年(47歳)教養小説『ウィルヘルム・マイスターの修業時代』、翌年に叙事詩『ヘルマンとドロテーア』を完成させる。

1806年(55歳)『ファウスト』の第1部の完成。

1809年(58歳)悲恋小説『親和力』を発表。

1817年(68歳)30年前のイタリア旅行を回想しながら書いた『イタリア紀行』を発表。

1819年(70歳)『西東詩集』を発表。

1821年(72歳)『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』を発表。

1832年(82歳)『ファウスト』の第2部を完成させた翌日の3月22日、死去。

 

ゲーテの生涯

ここからは早速、ゲーテの主な功績についてご紹介していきます。

若き日の文豪

後に文豪となるゲーテの名が世間に広く知れ渡るようになるのは、

彼が24歳を迎えた頃でした。

友人からの援助を受けて自費出版した自身初の戯曲、

『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』と、

同年に出版した書簡体小説『若きウェルテルの悩み』がそれぞれ大成功を収め、

瞬く間に世間の評判を集めることになったのです。

特に『若きウェルテルの悩み』は、若者を中心に熱狂的な愛読者を得て、

主人公ウェルテルを真似する風潮が社会現象にまでなりました。

この2作品により自国ドイツを越え、ヨーロッパ中にその名を知らしめたゲーテは、

以降多くの著名な文人や貴族たちと交流していくことになります。

政治家の顔

文人として成功を収めたゲーテは、政治家として活動することになります。

それは華々しい交流の間で出会った人物のうちの一人、

カール・アウグスト公に、ワイマール公国へ招待されたことがきっかけでした。

ゲーテは26歳を迎えた年にワイマール公国に赴きます。

当初は短期間だけ滞在するつもりがここでの生活を気に入り、

それ以降永住することになるのです。

そして彼は半年後にこの小さな公国の閣僚となり、以降政務に没頭します。

この期間にゲーテは真面目に政治家としての役割を果たし、

33歳で神聖ローマ帝国の皇帝から貴族として認められ、

ワイマール公国の宰相の地位までのぼりつめます。

しかし文人としての活動は、この時期は空白期間となりました。

そして文豪へ

ワイマール公国で産業の発展や文化教育などの政策に力を入れ、

10年の間政治家として活動していたゲーテは37歳になったとき、

アウグスト公に無期限の休暇を願い出ます。

そして以前から強く憧れていたイタリアへ旅立ったのです。

その後約2年もの間イタリア各地に滞在し、

その土地の文化や芸術に触れ再び執筆活動に取り組みます。

このイタリア滞在時期の様子は日記などを基に約30年後、

『イタリア紀行』として著しています。

再びワイマール公国に戻ったゲーテは、

フランス革命期にはアウグスト公に連れ立って従軍する一方で、

その後も執筆活動を続けます。

教養小説の傑作と謳われることになる『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』

叙事詩『ヘルマンとドロテーア』など、数々の有名な作品を世に送り出し、

ドイツ古典主義を代表する文豪になるのです。

 

ゲーテにまつわるエピソード

ここでは、ゲーテの知られざるエピソードを2つご紹介します。

期待された子供時代

ドイツ中部にある町フランクフルトで、裕福な家庭の長男として誕生したゲーテ。

彼は父親から英才教育を受け、なかでも語学に秀でた才能を発揮しました。

少年時代には既に、

・英語

・フランス語

・イタリア語

・ラテン語

・ギリシア語

・ヘブライ語

を習得し、読書を好み積極的に楽しむ性格でした。

そんなゲーテは、父親の勧めで大学では法律の勉強をします。

しかし最初に入ったライプツィヒ大学の法学部は、

病名は定かではありませんが体調不良によって退学を余儀なくされます。

その後再び父親の勧めで、今度はフランスのシュトラースブルグ大学で法律の勉強をします。

しかし、卒業後に始めた法律事務所はあまり長続きしませんでした。

というのも、ゲーテ自身はもともと文学の勉強をしたいと思っていたため、

大学時代も文学関係の教養がある人物とよく交流していて、

卒業後もその思いを変わらずに持ち続けていたのです。

しかし彼の父親の願いは無駄ではなく、

ゲーテがワイマール公国に招かれたことで大いに役立つことになるのです。

自然科学者の顔

実は学生時代から自然科学の研究に興味を持っていたゲーテ。

この頃から自身で実験器具を買い集めては研究を行っていました。

その後も彼は文人として執筆活動を行ったり、政治家として政務を行う傍らで、

・人体解剖学

・植物学

・地質学

・光学

等の研究結果や著作を遺しています。

中でも骨学に造詣が深かったゲーテは35歳のとき、

人間には無いと言われていた前顎骨ぜんがくこつを発見し、

比較解剖学に大きく貢献しています。

さらに光学の研究に力を注いだ晩年の著作『色彩論』は、

彼が20年かけて書いた大作です。

 

きょうのまとめ

今回は、ドイツの文豪ゲーテの生涯をその功績と共にご紹介してきました。

いかがでしたでしょうか。

最後に、ゲーテとはどんな人物だったのか簡単にまとめると

① 18世紀~19世紀に活動したドイツを代表する文豪。小説家、詩人、劇作家。

② 代表作に『若きウェルテルの悩み』、『ファウスト』、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』などがある。

③ 文豪の他に政治家や自然科学者としての顔を持ち、ワイマール公国の宰相を勤めたり、学術的な著作を多く遺している。

小説や戯曲に限らず、多くの詩も遺しているゲーテ。

彼の作品のほとんどが実体験をベースに綴られており、

それは多くの恋愛をテーマにした作品にも当てはまります。

数あるゲーテの著作の中で、あなたの興味を引く作品はどれでしょうか。

 

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