織田信長の家系図を簡単に解説。見えてくるその人物像

織田信長

 

織田信長はあまりにも有名ですよね。

では、織田家についてはご存じでしょうか。

また、他の家とのつながりはどうなっていたのでしょうか。

ということで今回は、織田信長のエピソードについて、

織田家の家系図を簡単に見ながらご紹介していきます。

もちろん織田信長も登場する明智光秀が主役の「麒麟がくる」がはじまりますね。
関連記事 >>>> 「2020年大河ドラマ 「麒麟がくる」とはどんな内容?キャストは?」

「麒麟がくる」各回のあらすじとレビュー記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「2020年大河ドラマ 「麒麟がくる」」

 

織田信長の家系図

織田信長

出典:Wikipedia

まずは、織田信長の家系図をみてましょう。

集中して、10秒間見つめて覚えましょう。
(太字は、本文に登場する人物です。)

では本文へどうぞ。

いつでも戻ってきてください。

家系図から見えてくるその人物像

「うつけもの」と呼ばれる

1534年、信長は織田信秀の子として尾張国に生まれます。

幼名は吉法師きっぽうしと言いました。

尾張とは、現在の愛知県西部を指します。

当時の織田家は、岩倉織田氏と清洲織田氏の2つに分裂していました。

そして、尾張国もそれぞれが治める地域に二分されていました。

父の葬儀での信じられない行動

信長の父・信秀は、清洲織田氏に仕えていました。

織田信秀は優れた人物として知られています。

のちに息子・信長が倒すことになる今川義元や斎藤道三とも戦っています。

しかし信秀は流行り病にかかり、42歳の若さでこの世を去ります。

若き日の信長は父の葬儀の際、周りを大いにあきれさせます。

葬儀にはふさわしくない恰好で出席し、さらに抹香をつかんで仏前へ投げつけるという行動に出たからです。

一方、弟の信行はしっかりとした服装・マナーで葬儀に臨んだそうです。

そんな信長のことを見て、周囲は

「うつけもの!!!!!」

と呼びました。

しばらくして、それまで何かと信長を守ってきた平手政秀ひらてまさひでという家老は、生きていても仕方がないという理由で、腹を切ったと伝えられています。

自刃した理由は、他にも諸説ありますが、当時の信長は、かなり危険な人物であったことが想像できるエピソードでした。

尾張国を統一

そんな信長ですが、信秀の家督を相続します。

1559年一族の抗争の果てに岩倉城の織田信賢を破り、尾張を統一することになります。

父親の葬儀のときには、誰もが想像できなかったことでしょう。

有名な桶狭間の戦いの前年のことでした。

義理の父・斎藤道三を唸らせる

話を少し前に戻します。

1548年、信長は15歳にして斎藤道三の娘・帰蝶きちょう濃姫のうひめと結婚します。

父の信秀と斎藤道三が和睦したのをきっかけに、まとまった縁談でした。

16~18歳ころの信長は、馬術や泳ぎの訓練などには真面目に取り組んでいたようです。

しかし、問題なのはその身なりとふるまいでした。

先ほども、父・信秀の葬儀での問題行動をご紹介しました。

ですが、信長は普段から問題児だったのです。

服装や髪型は乱れ、素行不良。

なんと、歩くときは他人の肩にぶら下がっていたそうです。

これは想像の斜め上をいくエピソードですよね。

それらは、義理の父・斎藤道三の耳にも当然入っていました。

真偽を確かめるべく、道三は信長を呼び出します。

その道中の姿は、噂通りの「うつけもの」だったといいます。

しかし、道三との会見の際にはきちんと髷を結い、折り目正しい格好で出てきたといいます。

これには、さすがの斎藤道三も驚きを隠せなかったようです。

信長は常識を知ったうえで、あえて破っているということがわかるエピソードでした。

 

妹・お市の方とその3人の娘たち

信長の家族と言えば必ず思い出されるのが妹・お市の方です。

お市の方は、近江の小谷おだに城主・浅井長政に嫁いでいました。

義理の弟・浅井長政を自害に追い込む

そのため、浅井長政は信長と同盟関係にあったわけですが、のちに対立します。

長政は朝倉義景らと連合し、信長打倒を企てました。

そこで信長は、家臣の羽柴秀吉に小谷城を攻めさせ、自身も小谷城に入り、浅井長政を切腹に追い込みます。

お市の方は残された三人の娘とともに、助け出されました。

のちに、お市の方は柴田勝家に嫁ぐこととなります。

そして、賤ヶ岳の戦いで再び秀吉に攻められ、ついにお市の方は勝家とともに自刃することになります。

姪たちへは優しく接した

またしても生き残ったお市の方の3人の娘は、成長し、それぞれ秀吉京極高次徳川秀忠に嫁ぐこととなります。

長政の死後、娘たちは数年間、織田家に引き取られました。

その際、お市の方と娘たちへの待遇はとても良いものだったそうです。

なお秀吉の側室となったのは、あの有名な淀殿です。

実の父親・義理の父、そして母親までを死に追いやった人物に嫁ぐ心中とは、いかなるものだったのでしょうか・・・。

 

きょうのまとめ

最後までお読みいただきありがとうございました。

家系図から見えてくる信長とは、

① 本家の生まれではないが、尾張国を統一したすごい人物

② 常識外れだが、常識は知っていた

③ 自分に刃向かうものには容赦しない

ではないでしょうか。

他にも信長について、色々な記事を書いています。

よろしければ、お読みになってください。

織田信長の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「織田信長とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 

その他の人物はこちら

関連記事 >>>> 「【安土桃山時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」

関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」

 










合わせて読みたい記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

one + six =