京都の寺町通丸太町にある『新島旧邸』は、
新島襄と八重夫人の旧宅です。
和洋折衷のモダンなデザインで、
庭も美しいと人気の観光スポットになっています。
そこで今回は、
新島旧邸を訪れる前に知っておきたいエピソードなどについて、簡単にご紹介します。
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新島旧邸は同志社発祥の地
新島旧邸は、同志社大学の前身・同志社英学校が開校した地です。
本来ならば、今出川にある相国寺の門前で開校する予定でした。
開校地の変更
ですが、キリスト教の学校をつくることを知った僧侶たちから、猛反対を受けてしまったのです。
相国時とは臨済宗相国寺派の大本山で、
室町幕府第3代将軍・足利義満によって創建された由緒正しいお寺。
そんなお寺の目の前にキリスト教主義の学校をつくることは、
当時としては暴挙と捉えられても無理はなかったそうです。
そこで新島は、仕方なしに別の場所で同志社英学校を開校することにしました。
仮校舎で同志社英学校はスタートした
高松保実という華族(皇族の下・士族の上に位置づけられた、貴族としての身分)が、
寺町通丸太町に自宅を持っていました。
新島襄は高松邸の半分を借りて、そこを同志社英学校の仮校舎としたのです。
開校当時の生徒数は8名だったといいますから、あまり広い場所でなくとも良かったのでしょう。
ですが次第に生徒数が増えていき、結局は当初の開校予定地に移転しました。
旧宅を設計したのは誰?
現在残っている新島旧邸は、元の所有者・高松保実が建てたものではありません。
借家暮らしをしていた新島ですが、アメリカの友人からの寄付によって、新島旧邸を建てることができたのだとか。
新島旧邸は外観は洋風で、特にコロニアル様式と呼ぶそうです。
その一方、構造や間取りなどは日本式で、屋根には瓦が使われています。
和と洋が見事に融合した、素晴らしい建物です。
写真をご覧になったことのある方はわかると思いますが、新島旧邸は今見ても非常にカッコいい家です。
しかし設計者は誰なのか、明らかになっていないそう。
ただ、当時同志社の教員をしていたアメリカ人のW.テイラーや、新島襄本人の意見を取り入れた設計になっているとも言われています。
さらに家を建てたのは、それまで西洋の建物など見たことがなかったであろう、京都の町大工。
ですが、だからこそ日本の伝統建築と見事に融合した、素晴らしい家が建ったとも言えると思います。
新島旧邸へ行く前に
昭和60年(1985)には、京都市の有形文化財に指定された新島旧邸。
建物だけではなく、家具や調度品も含めて指定されているのです。
常に中に入れるわけではない
そんな新島旧邸ですが、公開期間が限られているので注意が必要です。
さらに公開の方法も
(2)特別公開
と二種類あり、建物内部に入ることができるのは特別公開のときだけです。
実際に新島旧邸を訪れる予定の方は、事前に同志社大学の公式HPで確認してから行くことをおすすめします。
新島旧邸へのアクセス情報
【住所】上京区寺町通丸太町上ル
【電話番号】 075-251-2716(ハリス理化学館同志社ギャラリー事務室)
【アクセス】京都市営地下鉄「丸太町」駅から徒歩約15分/京阪電車「神宮丸太町」駅から徒歩約10分
きょうのまとめ
今回は京都にある新島襄の旧宅『新島旧邸』と、それにまつわるエピソードについて簡単にご紹介しました。
新島旧邸は、
② 洋風建築と日本の伝統的な建築が見事に融合している
③ 家具・調度品を含め、京都市の有形文化財に指定されている
と言えます。
こちらのサイトでは、他にも新島襄にまつわる記事をわかりやすく書いています。
より理解を深めたいという方は、ぜひご覧になってくださいね!
新島襄の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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