中大兄皇子の家系図や家族関係についてご紹介します。

 

古代日本の立役者として有名な中大兄皇子
祖先や家族はどのような人たちだったのでしょうか?

中大兄皇子と家族の関係を知ると、
中大兄皇子の「 別の顔 」が見えてきます。

今回は、中大兄皇子の家系や家族について、ご紹介します。

 

中大兄皇子の家系図

中大兄皇子(天智天皇)の家系図をみてみましょう。

以降に登場する人物は太字になっています。

 

 

天皇家の始祖

中大兄皇子は天皇家の一員なので、
祖先をさかのぼると皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)に、たどり着きます。
天照大神は太陽を神格化したもので、
天照大神を奉っている代表的な神社は伊勢神宮です。

天照大神から代が下り、
初代天皇となったのが神武天皇(じんむてんのう)ですが、
現代では、実在しなかっただろうと言われています。

誰が実在する始めての天皇なのかは、わかっていません。
第10代 崇神天皇、第15代 応神天皇、第26代 継体天皇あたりが有力だと言われています。

 

天皇陛下ばかり!中大兄皇子の家族の紹介

中大兄皇子自身も、後に第38代天智天皇となりますが、
家族も天皇ばかりでした。

天智天皇の家族で、天皇だった人物を紹介します。

父 舒明天皇(じょめいてんのう)

中大兄皇子の父親は第34代 舒明天皇です。

舒明天皇は、蘇我家の後押しで天皇に即位し、
実際の政治の実権は蘇我蝦夷(そがのえみし)
に握られていました。

母 皇極天皇(こうぎょくてんのう)(斉明天皇)

舒明天皇の後、天皇に即位したのは、
中大兄皇子の母親にあたる人で、
舒明天皇の皇后、宝皇女(たからのおおきみ)でした。
宝皇女は第35代皇極天皇として即位します。

当時は、年齢の問題などで、
天皇に相応しい皇子がいない場合、
「 中継ぎ 」として皇后が天皇になることはよくあることでした。

「 乙巳の変 」の後、
弟の軽皇子(かるのみこ)(孝徳天皇(こうとくてんのう))に天皇の位を譲りますが、
孝徳天皇が亡くなると、再び斉明天皇として天皇の位につきます。

同じ人が、二度、天皇になることを重祚(じゅうそ)といいます。

とても気の強い性格で
高齢にもかかわらず、
朝鮮半島での戦争(白村江(はくすきのえ)の戦い)に備えて、
自ら筑紫(つくし)(現在の福岡)に遠征し、遠征中に疫病で亡くなりました。

弟 天武天皇

中大兄皇子(天智天皇)が亡くなった後に、
天皇に即位したのは、弟の天武天皇です。
即位前は大海人皇子(おおあまのおうじ)と呼ばれていました。

カリスマ性のある人物だったといわれています。

天皇中心の政治を強化し、
大臣は置かず、自ら政治を主導し、
日本の律令国家(法治国家)体制を目指しました。

義妹 持統天皇

天武天皇の後は、
皇后の鸕野讚良皇女(うのさららのひめみこ)が
持統天皇として即位します。

実は、持統天皇は天智天皇の実の娘でもあります。

天皇候補の皇子が幼かったため、
「 中継ぎ 」として即位しました。

中継ぎとはいえ、天皇として
積極的にリーダシップを発揮し、
天武天皇の政治路線を引き継ぎました。

 

かなりドロドロ?中大兄皇子と家族のエピソード

妹と恋愛関係

中大兄皇子は、実の妹の間人皇女(はしひとのひめみこ)
と不倫関係にあったと言われています。

当時は、親戚同士で結婚することは、よくありましたが
「 同じ母親 」同士の兄妹の恋愛は許されていませんでした。
(異母の兄妹は許されていました。)

さらに、間人皇女は
中大兄皇子の叔父の孝徳天皇の皇后だったので、
不倫の関係でもありました。

乙巳の変の後、中大兄皇子がなかなか天皇に即位しなかったのは、
このスキャンダルが原因である、という説もあります。

大海人皇子と三角関係

中大兄皇子の弟である大海人皇子には、
額田王(ぬかたのおおきみ)という美しい妃がいました。

二人は子どももいる、仲の良い夫婦でしたが、
中大兄皇子は額田王に横恋慕します。

大海人皇子に額田王を譲るように言い、
中大兄皇子の権勢を恐れた大海人皇子は
言われるままに差し出しました。

その時に、額田王の代わりにと、
大海人皇子に嫁がせた自分の娘が
鸕野讚良皇女で、後の持統天皇です。

弟 vs 息子

中大兄皇子(天智天皇)は、大海人皇子に自分の亡き後は
天皇の座を譲ると約束していましたが、
実は、息子の大友皇子に後を継がせたいと考えていました

中大兄皇子(天智天皇)は死の間際に、大海人皇子を呼び出し、
自分の死後は天皇になるように、と言いつけます。

しかし、この提案は罠で、これを受ければ暗殺されると
悟った大海人皇子は、固辞(こじ)し吉野に逃れました。

大海人皇子は、中大兄皇子(天智天皇)が亡くなるのを待って、挙兵しました。
これが、「 壬申の乱 」です。

大友皇子を倒した大海人皇子は、
天武天皇として即位します。

その後もしばらく、天皇家は天武系と天智系に分かれ、
対立することになりました。

きょうのまとめ

今日は中大兄皇子の家系や家族について
ご紹介しました。

いかがでしたでしょうか。

簡単にまとめると

① 中大兄皇子の始祖は天照大神である。

② 父、母、弟、義理の妹が天皇になった。

③ 実の妹と不倫関係にあったといわれている。

④ 弟の妃と三角関係になり、略奪した。

⑤ 死後、弟の大海人皇子と息子の大友皇子が争い、大海人皇子が天皇の座に就いた。

中大兄皇子(天智天皇)の家族関係は複雑なものでした。
歴史の授業では英雄として扱われていましたが、
実際は、いろいろな側面をもった方だったのだろう、と
感じました。










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