子の多くが若くして死去・・・陸奥宗光の子孫は今もいるのか?

 

陸奥宗光には4人の子がいました。

頭がよく切れることから、「カミソリ」という異名を持っていた陸奥宗光。

今回はそんな彼の血を引く子どもたちと子孫について、簡単にご紹介していきます。

陸奥宗光の4人の子どもたちについて

陸奥宗光には生涯、二人の妻がいました。

一人目の妻は蓮子(れんこ)といいます。

そして蓮子と死別した後に迎えた妻が、「鹿鳴館の華」とも呼ばれた亮子でした。

長男・広吉

長男である広吉(廣吉)は、先妻である蓮子との間に生まれた子です。

広吉は外交官、そして教育者として活躍した人物です。

日英博覧会の開催に尽力したり、鎌倉女学校(現在の鎌倉女学院)の初代理事長を務めるなどしました。

そしてイギリス人女性のエセル(日本名陸奥イソ)と大恋愛の末に結ばれています。

二人の間に生まれたのが、陸奥イアン陽之助さんという方です。

詳しくは後ほどご紹介しますね。

次男・潤吉

次男の潤吉も、先妻・蓮子との間の子です。

潤吉は古河財閥の創業者・古河市兵衛(ふるかわ・いちべえ)の養子となり、古河財閥二代目当主になりました。

しかし経営していた足尾銅山の精錬所から出た鉱毒が、

渡良瀬(わたらせ)川流域の農民たちに健康被害をもたらして社会問題化してしまいます。

これが有名な足尾銅山鉱毒事件といわれるものです。

この問題の発生時、実の父親である陸奥宗光が農商務大臣を務めていたこともあり、激しい批判にさらされてしまいます。

その心労がたたったのか、潤吉は35歳の若さで亡くなりました。

長女・清子

長女の清子(さやこ)は、後妻である亮子との間にできた子です。

清子は病気のため、なんと22歳の若さで亡くなったそうです。

次女・冬子

次女の冬子は、妻ではない女性との間に生まれた子です。

その女性は祗園(ぎおん)の芸者だとか、山形の監獄にいた時に知り合った女性だともいわれています。

ですが陸奥宗光の死後、長男・広吉の養女とする形で、亮子夫人が引き取って育てました。

冬子も嫁ぐことなく、31歳の若さで亡くなっています。

孫・陸奥イアン陽之助

このように、陸奥宗光の4人の子どものうち、広吉を除く3人が若くして亡くなっています。

いずれも未婚でしたので、子どもはいなかったようです。

陸奥宗光唯一の孫

そのため長男の広吉の子である、陸奥イアン陽之助氏が宗光の唯一の孫ということになります。

ちなみに陽之助という名前は、陸奥宗光の幼名でもあります。

さて、陸奥イアン陽之助さんですが、ジャーナリストなどを経てインタナシヨナル映画株式会社を創立。

もはや短命のイメージの強い陸奥家ですが、イアン陽之助さんは95歳まで生きています。

陸奥宗光の子孫は今もいるのか?

ということで、今もし陸奥宗光の子孫がいるとしたら、陸奥イアン陽之助さんのお子さんということになります。

陸奥イアン陽之助さんは結婚していましたが、お子さんがいらっしゃるかはわかりません。

もしかしたら、公表していなかっただけかもしれません。

身の回りにもし陸奥さんという方がいらっしゃったら、聞いてみると実は・・・・・・ということがあるかもしれませんね!

きょうのまとめ

今回は陸奥宗光の子どもたちと孫についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

① 陸奥宗光には4人の子どもがいたが、そのうち3人は若くして亡くなっている

② 陸奥宗光の唯一の孫はインタナシヨナル映画株式会社の創業者・陸奥イアン陽之助氏

③ 陸奥イアン陽之助氏に子どもがいたのかはわからない

こちらのサイトでは他にも、陸奥宗光についてわかりやすい記事を書いています。

ご興味がございましたら、ぜひご覧になってくださいね!










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