前田利家の梅鉢家紋が意味するものとは?

 

戦国武将の一族や仕える主を表すのが家紋です。

前田利家の前田家が掲げるのは

加賀梅鉢(かがうめばち) 」と呼ばれる梅をモチーフにした家紋です。

加賀梅鉢にはどんな意味があるのか紹介します。

 

前田利家 梅鉢家紋が意味するもの

植物系家紋の種類

前田家の家紋である加賀梅鉢は数ある家紋の種類では、植物系の種類にあたります。

植物系の家紋について少しみていきましょう。

徳川家康の徳川家は「 三つ葉葵

徳川四天王の一人である井伊家は橘の花を描いた「 彦根橘

本能寺の変を起こした明智光秀は桔梗の花をモチーフにした「 水色桔梗

浅井家・織田家・豊臣家など主を様々に変えた藤堂高虎はツタの葉っぱである「 藤堂蔦

このように植物の形を家紋にした武将や一族は多いです。

では植物を家紋として採用するのはどのような意味があるのでしょうか?

家紋に描かれるのは葉や花びらに茎の部分が多いですが、外見上の美しさだけで選ばれた訳ではありません。

植物は地に根を伸ばし踏まれても枯れない、まさに強い生命力があるのです。

戦国武将は簡単にはやられない、

繁殖力も高い植物を一族の繁栄に繋げる意味で家紋に採用しました。

では、今回のテーマである加賀梅鉢はどうでしょう?

加賀梅鉢は梅の花をモチーフにした家紋です。

梅は地域や種類によっては1月でも開花するので「 早春の花 」と言われ、

1月や2月の雪の降る時期に咲くので「 冬の花 」とも言われます。

冬の寒さに耐える強さは戦国武将の在り方としてふさわしいと言えます。

しかし前田家はそんな梅の性質で家紋を選んだのでは無いようです。

由来は菅原道真?

前田利家の前田家より以前に梅の紋を使っていた家がありました。

それは平安時代の貴族の菅原道真です。

菅原道真は現在では学問の神様と崇められている人です。

道真が梅を家紋に選んだのは、5歳の時から梅を愛していたからと言われています。

それは京の都にある道真の邸宅が、紅梅殿と白梅殿と呼ばれる程にです。

道真が開いた神社である太宰府天満宮は、社紋として梅鉢を掲げています。

前田家が梅鉢を家紋に決めたのは、

菅原家や太宰府天満宮と関係があるからでしょうか?

どうやらそうでは無いようです。

菅原氏の一族で美作国(みまさかのくに、現在の岡山県東北部)に定住して、

美作菅氏(みまさかかんし)を名乗る一族がありました。

武家の名門と言われた美作菅氏の末裔だと前田家は自称します。

前田家が美作菅氏の分家など繋がりがあると示す資料はありませんので、

前田家が美作菅氏の名門ぶりにあやかって末裔を自称したようです。

加賀梅鉢と天神信仰

その美作菅氏が梅鉢の家紋だったため、前田家は梅鉢の家紋を自らの家紋として採用します。

菅原氏と同じ梅の家紋は加賀を治めるにあたり効果があったと言われています。

というのも、加賀国を含む北陸では、「 天神信仰 」と呼ばれる独特の神道の信仰で、菅原道真を「 天満大自在菅天神(てんまんそらみつだいじざいてんじん) 」として祀っていたからです。

天神信仰は長男が生まれた家が正月に、道真の掛け軸に描かれた道真や木彫り人形の道真を飾るという習慣があります。

加賀の地で、神である菅原道真と同じ梅の紋様は、支配する前田家と加賀に住む住民の心を繋ぐものとなります。

 

きょうのまとめ

前田利家の家紋、梅鉢家紋について見てきましたがいかがでしたでしょうか。

家柄も武将のステータスとして見られていた戦国時代なので、自称でも名門の末裔として自らの格を上げる意味がありました。

加賀の地で神として崇めらる菅原道真。そしてその家紋と同じ梅の家紋である前田氏が、加賀の統治を任されたのは偶然なのでしょうか。

豊臣家や徳川幕府は、家紋による効果で前田家は土地に受け入れられ、統治がうまくいく事を狙ったのかもしれません。

尾張に住む織田家の家臣だった前田利家自身が、加賀を治める大名になる為に梅の家紋を作った訳では無いでしょう。

家紋の効果は前田家にとって、「 想定外の偶然 」だったのかもしれませんね。

 

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