前田利家は「槍の又佐」と言われる猛将です。
戦場で身につける兜はカブキ者と言われた利家ならではの個性がありました。
また本物があるか分からないものの黄金の鎧兜もあったと言われています。
利家の変わった鎧兜について紹介します。
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戦国武将の個性的な兜
戦国武将の中には個性的な兜を持つ人が居ます。
- 板状のものを兜のてっぺんに付けた黒田長政
- 愛染明王の信仰から愛の文字の前立を張り付けた直江兼続
- ムカデの像を兜に付けた伊達成実
など兜が独特なものがあります。
こうした兜は武将個人が入り乱れる戦場に居ても
「ここにいる」と見せる意味もあります。
前田利家の兜
前田利家
出典:Wikipedia
前田利家 兜の特徴
そうした兜の個性では前田利家も負けていません。
利家は高さが1.27メートルもの「長い」兜を持っていました。
その形は兜から細長く平たいモノが伸びているようです。
兜の名前は銀鯰尾兜と言います。
つまり利家の兜は鯰の尻尾を形にした物なのです。
ではどうして利家は鯰の尻尾の形を兜に採用したのでしょうか?
なぜ鯰兜を採用したのか?
伊達成実はムカデは後に下がらない特性から
「自分は逃げない」と言う意味で兜にムカデの像を付けました。
では鯰の尻尾にはどんな意味があるのでしょう?
鯰は地震を起こす大きな力を持つ生物だと、戦国時代の頃には思われていました。
「地震を起こせるほどの強力なパワー」にあやかる意味で、
鯰の尻尾の形をした兜を作ったと言われています。
鯰兜を持つ武将には他にも蒲生氏郷が居ます。
氏郷の兜は利家の物とは形が違います。
鯰の尻尾の先端を表すように尾が二股になっているより独特な物になっています。
こうした鯰兜は信仰的な意味だけではなく、独特の形で目立つという実用性もあります。
これは兜を長くして目立つと言う単純なものです。
戦国時代では鯰兜に似た烏帽子形の兜と言うこれも細長く作られた兜があります。
伊達正宗は豊臣秀吉の朝鮮出兵の京での出陣で、
兵達に金色のとんがり帽子の陣笠を被らせ他の武将や京の人々を驚かせました。
鰻兜のような長い兜や陣笠は他の個性的な兜と同じく、
武将のオシャレや自己アピールの為にあったのです。
実在する?利家の黄金鎧兜
利家が持っていたとされる鎧兜では変わった物がもう一つあります。
利家の黄金鎧兜が伝わる逸話があります。
天正12年(1584年)時は豊臣秀吉と徳川家康が対立していた時期です。佐々成政が秀吉に背き前田領である能登国を攻めます。能登国の末森城が佐々軍に攻められ、利家は末森城救援に向かいます。この時に黄金の鎧兜を着て駆けつけました。
と言うものです。
これが本当なのかどうかは不明です。
利家の鯰兜とされる本物は富山市郷土博物館にありますが、黄金鎧兜は本物ではなく復元した物しかありません。
利家はカブキ者として派手さを好む性格でもありました。
また前田家が領地としていた金沢が加賀藩だった時から現在も
金箔の製造で有名な土地であり黄金の鎧兜があっても不思議ではないと言えます。
きょうのまとめ
鯰にあやかる長い兜に、黄金の鎧兜はどれも共通した意味があります。
それは「自分自身の存在をアピールする」為です。
利家は、槍の又佐として腕に自信がありましたが苦い過去があります。
信長の反感を買い織田家を追放された時期に、織田家に戻ろうと織田家が戦う戦場へ出ます。
桶狭間合戦に飛び入りで加わり織田家の為に戦います。
その利家の姿から信長は利家の復帰を認めます。
戦場で自分の存在をアピールして苦しい浪人時代から抜け出したのです。
戦場のアピールが身を助け、出世もしたと言う経験が利家にはあるのです。
それが利家に「長い鯰兜」や「黄金鎧兜」を持つ心理に繋がったのかもしれません。
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