真言宗という仏教の宗派の祖であり、平安時代の代表的な仏僧
空海。
弘法大師とも呼ばれる彼は、
日本全国に伝説やゆかりの地があるので名前を聞くこともよくありますよね。
その空海はどんな人物だったのか、彼の生涯についてまとめました。
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空海はどんな人?
- 出身地:讃岐国多度郡屏風浦(現在の香川県善通寺市)
- 生年月日:774年
- 死亡年月日:835年(享年 61歳)
- 唐から日本に密教を伝え真言宗を開いた天才で庶民のカリスマ。書が堪能で三筆の一人。
空海 年表
西暦(年齢)
774年(1歳)誕生
792年(18歳)長岡京の大学寮で勉学に励む
804年(31歳)東大寺戒壇院で得度受戒、第16次遣唐使留学僧として長安へ
805年(32歳)密教の青龍寺の恵果(えか)和尚に師事
806年(33歳)20年間の予定の留学を2年で切り上げて帰国
816年(43歳)朝廷より高野山を賜る
821年(48歳)満濃池の改修を指揮
822年(49歳)東大寺に真言宗の戒壇・灌頂道場真言院を設ける
823年(50歳)太政官符により東寺を賜り、真言密教の道場にした
828年(55歳)京に私立の教育施設・綜芸種智院を開設
835年(61歳)入定(死没)
921年 醍醐天皇から「弘法大師」の諡号(死後に尊んでつけた称号)が贈られた
空海の生き方
空海は、774年に讃岐国(現香川県)の地方豪族・佐伯田公の息子の真魚として誕生。
幼いころから聡明な空海は、18歳から官僚になるため長岡京の大学寮で猛勉強します。
しかい20歳頃に仏教を追求するためドロップアウトしてしまいます。
唐への留学
四国での仏道修行の最中、遣唐使と一緒に唐(中国)に行けるチャンスが訪れます。
無名の学僧として私費で唐へ渡ることになった空海。
そこには、天皇に留学の使命を託された高僧・最澄もいました。
唐に無事到着した空海は、長安の青龍寺の恵果という高僧に師事。
当時の最先端である「密教」を驚異的な早さで習得します。
20年の唐生活を予定されていた学僧空海は、たった2年でそれを全てマスターし帰国したのです。
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空っぽで行き、満タンで帰る
その時の彼の言葉が
(むなしくゆきてみちてかえる)
何もない空っぽの状態で留学し、帰るときには満ち足りて帰ってきた、という意味です。
空海はもう日本の密教の第一人者でした。
真言宗を開くと、816年には、空海を高く評価した嵯峨天皇から高野山をプレゼントされ、修行場として金剛峯寺を建立。
823年には東寺も与えられ、活躍の場は平安京の中にも広がりました。
さらに彼は、地方での宗教活動や庶民の喜ぶ事業などを精力的に行ったのです。
そんな人との触れあいの中で、いつしか空海は、彼自身がカリスマを持った人々の祈りの対象となりました。
その名残りが、現在も全国各地にある「お大師さま」関連の寺院であり、数々の伝説なのです。
空海の業績
空海のマルチタレントぶりを業績から見ましょう。
真言宗
もちろん空海の最大の業績は、唐から持ち帰った新しい仏教・真言宗を開いたこと。
密教という当時最先端の仏教で、万物を司る仏として、真言宗の中にしか存在しない独特の仏さま・大日如来を中心とする教義です。
死んでから極楽浄土に行くのではなく、この世でこの身のまま仏になれると説きました。
満濃池
香川県にある満濃池という決壊ばかりして人々を苦しめていた池を、たった3ヶ月で修復する土木工事の陣頭指揮をとりました。
唐で学んだ土木知識を応用したものだそうです。
この池は、現在も日本最大の灌漑用のため池として使用されています。
綜芸種智院
綜芸種智院は、829年それまで貴族の教育機関しかなかったため、空海が庶民の教育のために作った私立の教育機関です。
貧富に関わりなく、俗人も僧侶も学べるあらゆる思想、学芸の総合教育施設の設立は画期的でした。
芸術家として
嵯峨天皇、橘逸勢と共に三筆と呼ばれる能書家・空海。
書は唐での留学中に学びましたが、すでに唐で書の達人として知られるようになったそうです。
あらゆる書体をこなし、今でも空海の書は国宝となって残っています。
文人としても一流の空海は、『文鏡秘府論』という漢詩の解説書を著しています。
漢詩の達人であり、必要とされれば草稿もなくすぐ一篇書き上げることができたとのこと。
お遍路
お大師さまの名称で親しまれる弘法大師空海。
空海が亡くなった後、921年に醍醐天皇から「弘法大師」の諡号(死後に尊んでつけた称号)が送られたのを皆が親しみを込めて「お大師さま」と呼びます。
現在の香川県出身だった空海は、青年期に四国各地で山修行を行っていました。
そのことが、四国八十八箇所の遍路の元になっていると言われています。
きょうのまとめ
最後までお読み頂きありがとうございました。
空海とは、
② 僧でありながら仏でもある庶民のカリスマ
③ マルチタレントの天才仏僧
④ 亡くなった後もまるで生きているかのように慕われる存在
その他にも空海にまつわる記事を書いています。
よろしければどうぞご覧ください。
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