今も柏原に暮らす小林一茶の子孫とは|一人娘が引き継いだ小林家

 

松尾芭蕉・与謝蕪村よさぶそんと並ぶ江戸時代の俳人に数えられる

小林一茶こばやしいっさ

彼は信濃国柏原(現在の長野県上伊那郡信濃町柏原)にて生まれ、一度は家を出て俳人の道を歩んだものの、晩年はまた柏原の地に戻りました。

そして今でも柏原には、一茶の7代目の子孫である小林重弥しげやさんが暮らしています。

小林家は一茶の代から着々と受け継がれ、今も彼が安住の地に定めたその場所で、たしかに息づいているのです。

そう、一茶が生前、小林家の存続を願っていたことはいうまでもありませんが、実は彼の人生を振り返ると、跡取りを残すことも一筋縄ではいかなかったことがわかります。

どのようにしてその血が受け継がれていったのか、今回はその経緯に迫ってみましょう。

 

嫁を迎えるどころではなかった一茶の暮らし

小林一茶

小林一茶
出典:Wikipedia

一茶は柏原にて中位の農家を営んでいた小林弥五兵衛やごべえの長男として生まれました。

普通、家督というものは長男が継ぐものですから、順当にいけば一茶も農家を継ぎ、早々に嫁をもらっていたことでしょう。

しかし誰もが知るように一茶は農家を継ぐようなことはなく、俳人として身を立てています。

彼は幼くして母親を亡くしていますが、その後にやってきた継母のさつと馬が合わなかったことから、15歳の若さで家を追いやられたのです。

約束された農家の跡取りという将来もなくなり、江戸にてさまざまな職を転々とした挙句、俳人となり、なんとか食い扶持を稼ぐ道を見出した一茶。

その暮らしは、とても嫁を迎えられるような状態ではありませんでした。

彼がそのまま江戸で俳人を続ける道を選んでいたら、子孫を残すことも諦めていたかもしれません。

 

安住の地を得てもなお続く一茶の苦難

一茶に転機が訪れたのは、正式に父・弥五兵衛の遺産を相続できることが決まったときでした。

これを巡っても継母や弟の仙六と10年以上にも及ぶ争いがあったのですが、結果として一茶は田畑と家屋を弟と分け合うことになり、51歳にしてようやく柏原の地に戻ってこれることになるのです。

暮らしが安定すれば次は嫁だといわんばかりに、52歳にして一茶は結婚

かなり遅めの妻ですが、こうなれば子孫を残すこともなんとかできそうです。

しかし運命は残酷で、それから10年のあいだに生まれた4人の子どもと妻は亡くなり、一茶は結局またひとりに。

最終的には64歳のときに、やをという女性と再婚し、その間にやっと「やた」という女の子をひとり儲けることができたのでした。

もっとも、この子が生まれたのも一茶が没した翌年のことでしたが…。

 

一茶の血を守ったのは娘のやただった

一茶が再婚したとき、やをには倉吉という連れ子の男の子がいたため、普通に考えれば「なるほど、小林家は倉吉が継いだということか…結局、一茶の血ではないわけだな」となります。

しかし実はこの倉吉も、一茶が亡くなったあと、実父に引き取られ、別の家督を継ぐことになりました。

そうなれば小林家に残されるのはやをと、娘のやただけです。

女の子しかいないなら、家の存続の道はもう婿養子しかありませんが、この時代はそれもさほど珍しくはなかったのでしょう。

やたは宇吉うきちという農家の息子を婿にもらい、彼は名を小林弥五兵衛に改名。

こうしてめでたく小林家は一茶の直径の血筋をもって、受け継がれていくことになったのです。

そこから

弥三郎

弥太郎

重信

弥寿保やすほ

という風に家督が受け継がれ、現在の重弥さんへと繋がっています。

こう、辿ってみると江戸時代もそれほど昔のことではないように思えてくるから不思議ですね。

ちなみに重弥さんも何かしら俳句に携わっていたりするのかと思いきや、なんと俳句にはまったくのノータッチだとのこと。

「一茶の子孫だといって先生を気取るようなことは自分の性には合わなかった」と語っています。

奥様は「一茶屋」というお店をやっていたりもするようですが、重弥さんは豆腐屋を営んだり、はたまた勤めに出たり、飽くまでも一茶には縛られず暮らしている様子。

それでも現在まで柏原の生家が守られ続けているというのは、やはりすごいことですね。

 

きょうのまとめ

実家に戻るまでは嫁をもらうこともままならなかった小林一茶。

その後も子どもが相次いで亡くなるなど、晩年も苦難の連続でした。しかしその血は途絶えることなく、娘のやたによって現代までしっかりと受け継がれていました。

なかなか報われなかった自身の人生と比べて、堅実に暮らしていく子孫たちに、一茶は何を思っているでしょう。

「やっと浮かばれたな」という気持ちで、一族を見守っているかもしれません。

最後に今回のまとめをしておきましょう。

① 実家を追いやられた一茶は暮らしもままならず、嫁を迎えるどころの話ではなかった

② 実家に戻れることになり安住の地を得ても、子作りはなかなかうまくいかなかった

③ 最終的には娘のやたが婿養子を迎えることで、小林家の血を存続させた

一茶の俳句にはしばしばその穏やかな人柄が顔を覗かせます。

きっと家族に対しても穏やかな人だったのでしょう。だからこそ妻も娘も、家を存続させようと奮闘したのだと思いたいですね。

 

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