小林一茶とその妻の事情|3回も結婚したのは性豪すぎたから?

 

松尾芭蕉や与謝蕪村よさぶそんの作品を見ていると、江戸時代の俳句はどこか格式が高く、厳格でとっつきにくいという印象を受けます。

そんななか小林一茶こばやしいっさの詠む句は親しみやすいのが特徴。

小さな虫やたわいもない日常を題材にしたものが多く、口調にも独特のなまりがあるなど、当時としてはかなり個性的な俳人でした。

そして彼が個性的だったのはその作風だけではありません。

一茶は晩年52歳にしてようやく妻をもらうことになりますが、その夫婦関係がまた個性的も個性的。

残されている逸話を聞けば、「偉大な俳人のなかにも、こんなに人間くさい人がいたのだな」と、さらに親近感が湧いてきますよ。

今回はそんな小林一茶とその妻の関係について、詳しく迫ってみましょう。

 

小林一茶とその妻

小林一茶

小林一茶
出典:Wikipedia

小林一茶の初婚は52歳のころ…なのに妻は3人もいた?

小林一茶の初婚52歳のころ。

江戸時代では50まで生きられれば大往生だといわれますから、当時としてはかなりの晩婚です。

一茶は若いころから、この歳になるまで定住地をもたず、俳人として各地を転々とする生活を送っていました。

そのため結婚も自然と後回しになっていたのです。

ともあれ52歳になると父親の遺産を相続し、故郷の信濃国柏原(現在の長野県上水内郡かみみのちぐん信濃町柏原)に安住の地を得たことをきっかけに、という、なんと28歳という若さの妻をもらうことになります。

なんでも江戸で活躍する俳人ということで、親戚に良いように口利きしてもらったのだとか。

江戸時代の恋愛事情はわかりませんが、奥さんはそんな歳の差婚、よかったんですかね…?

と、喜んだのも束の間。

菊は37歳の若さで亡くなってしまいました。

まあ、その歳で結婚できただけでも…と思うところですが、一茶もこりないもので、次は62歳にして2人目の嫁をもらいます。

しかしそのときのという女性とは折り合いがつかず、3ヵ月で離婚。

やっぱり縁談はそう何度もうまくいくものではないのです。

…と思いきや、次は64歳のとき、32歳やおという女性と結婚します。

またしてもビックリするぐらいの歳の差婚!

その翌年に一茶は亡くなっていますが、この人との仲はうまくいったようですね。

初婚の時点で当時としては「おじいちゃん」と呼べるぐらいの年齢なのに、そこから3回も結婚しているとは…やっぱり長く女性に触れていなかったぶん、結婚への憧れが強かったのでしょうか。

度重なる離別の理由は一茶が性豪すぎたため

これも長く女性に触れていなかった反動といえばそうなのでしょう。

一茶は史上稀に見る性豪としても名高いです。

最初の妻・菊のときには、自身の日記にその日何回、行為に及んだかを逐一記録しています。

たとえば「雨。夜三交」「墓詣。夜三交」というふうに、その日の天気や出来事と一緒に、夜の行為の回数が記されているのです。

驚かされるのは、その歳にして1日3回もの行為を連日行っていること。

菊が37歳で亡くなってしまったのも、連日の行為で体力を消耗していたからではないかといわれています。

江戸時代は今のように食べ物の栄養も十分ではありませんから、こういうことが原因で亡くなるのもあり得ない話ではなかったようです。

そして2人目の妻・雪との離婚も、一茶があまりに身体を求めすぎたからだという話。

そりゃあ…62のおじいちゃんに来る日も来る日もしつこく迫られたら嫌にもなります。

離別しても何度も結婚を試みたのはひょっとして…?

 

子どもは軒並み死亡…なかなか幸せになれなかった一茶

一茶がお盛んだったことを示すかのように、彼は菊とのあいだに計4人子どもを儲けました。

しかしそのいずれもが、幼くして亡くなってしまいます。

52歳にしてようやく夫婦になれた妻は先立ち、産まれてきた子どももみんな死んでしまう…そして再婚してもすぐに逃げられる。

結婚して幸せを手にできるかと思った一茶ですが、その結婚が余計に彼を苦しめる結果になっているような…そんな印象です。

結局一茶が報われるのは、65歳になって彼が没したあとの話でした。

そう、3人目のやをが一茶との子どもを身ごもっており、その子は無事、元気に育っていったのです。

そもそも一茶が俳人として有名になったのも、明治時代に正岡子規が『一茶の俳句を評す』と題し、取り上げてからのこと。

自身の幸せにしてもその地位にしても、死んでようやく恵まれたといったところでしょうか。

正岡子規の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「正岡子規とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 

きょうのまとめ

3人の妻と小林一茶の関係を見ていると、やはり芭蕉や蕪村のような格式高さはなく、「ただただ結婚して幸せになりたい」「女性に触れたい」という、人間くささが垣間見えます。

そういうある種、聖人にはなりきれなかった一茶の人柄が、親しみやすさとなって作風にも表れているといえますね。

最後に今回のまとめをしておきましょう。

① 小林一茶は初婚が52歳という超晩婚にもかかわらず、3回も結婚している

② 妻との度重なる離別は、一茶が1日何回も身体を求めたのが原因?

③ 結局は死の直前まで、妻にも子どもにも恵まれることはなかった

すごく若い奥さんをもらって恵まれているかと思えばそうでもなかったり、一茶の日の目を浴びない人生は見ていてなんとも歯痒いものです。

 

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