小林一茶とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

江戸時代の後期、松尾芭蕉や与謝蕪村よさぶそんに並ぶ三大俳人として名を馳せた

小林一茶こばやしいっさ

その作風は一茶調と呼ばれ、庶民らしい親しみのある表現で、それまでの俳句とは一線を画しました。

そしてなによりすごいのは、彼が生涯に残した句の数。なんと2万句以上にも渡り、芭蕉や蕪村の数千という数を優に上回ります。

一茶の独特の作風はどのようにして磨かれていったのか、どのような姿勢から、そこまでの数の作品を残せたのか。

小林一茶とはいったいどんな人だったのか…

今回はその生涯から一茶の人物像に迫っていきましょう。

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小林一茶はどんな人?

プロフィール
小林一茶

小林一茶
出典:Wikipedia

  • 出身地:信濃国柏原(現在の長野県上伊那郡かみみのちぐん信濃町柏原)
  • 生年月日:1763年6月15日
  • 死亡年月日:1828年1月5日(享年65歳)
  • 江戸時代の三大俳人のひとり。それまでの俳句とは一線を画す、庶民的で親しみやすい一茶調を確立した

 

小林一茶 年表

年表

西暦(年齢)

1763年(1歳)信濃国柏原にて中位の農家の長男として生まれる。

1765年(3歳)母・くにが亡くなる。

1770年(8歳)父が後妻のはつと再婚。後に腹違いの弟・仙六が生まれる。

1777年(15歳)継母との仲がこじれたことが原因で実家を後にし、江戸へ奉公に出る。その後10年の間、消息不明に。

1787年(25歳)葛飾派の一員として俳人になる。当時葛飾派の重鎮だった二六庵竹阿・溝口素丸・森田元夢らを師匠とした。

1789年(27歳)東北地方に俳句修行の旅に出る。

1791年(29歳)柏原へ14年ぶりの帰郷。

1792~1798年(30~36歳)西方に門人が多かった二六庵竹阿の弟子であることを頼りに関西・四国・九州を巡る旅をする。

1799年(37歳)江戸に戻ると師匠の俳号を継ぎ、二六庵一茶を名乗るように。しかし周囲の妬みなどがあり、わずか2年で二六庵の名をなくす。

1801年(39歳)帰郷の際に父が倒れ、死に際に遺産を弟と二分にすることを言い渡される。これを巡って後に13年に及ぶ相続争いに。

1803~1807年(41~45歳)房総半島方面への行脚、手紙で寄せられた俳句の添削などで生計を立てる。

1807~1814年(45~52歳)父親の遺産分割争いが本格的になるにつれ、帰郷に備えて北信濃方面を巡り、門人を増やしていく。

1814年(52歳)相続争いに決着が着き、柏原に住居を定める。同時期に24歳年下の菊と結婚。俳人としての名声も広まり、来客や添削依頼も増えていく。

1815~1822年(53~59歳)菊とのあいだに3男1女の子どもを儲けるが、いずれも2歳を迎える前に死亡。一茶自身も脳卒中を起こし、歩行障害を患う。

1823年(61歳)菊が病気によって亡くなる。

1824年(62歳)親族の紹介で後妻の雪と再婚するが、3ヵ月で離婚。この直後、脳卒中を再発して言語障害を患う。

1826年(64歳)3人目の妻・やをと再婚する。

1827年(65歳)火事に遭い生家が全焼。かろうじて残った土蔵で暮らす。

1828年(65歳)1月5日夕刻、生涯を終える。

 

小林一茶の生涯

継母との反りが合わず、15歳にして江戸への奉公に出された一茶

小林一茶は1763年6月15日、信濃国柏原にて、農家を営んでいた小林弥五兵衛の長男として生まれます。

3歳のころに母親を亡くしてからは祖母が母親代わりになり、一茶の面倒を見ていましたが、8歳のころに父が後妻のはつと再婚。

この継母と反りが合わなかったことが、その後の一茶の人生を大きく変えることになります。

はつは大層働き者の女性でしたが、性格がキツイところがあり、ことあるごとに一茶に辛く当たるきらいがありました。

俳句の才能はあった一茶でしたが、農家の息子の働きぶりとしては、継母からすれば目に余るものがあったのかもしれません。

それでも祖母が生きているあいだは、なんとかふたりのあいだも取り持たれていたようですが、14歳のときにその祖母も他界。

これを機会にますます悪くなっていく一茶と継母の様子を見ていられなくなり、一茶が15のころ、父親が彼を江戸へ奉公に出すことを決めます。

その後10年間、一茶は一切の消息を絶っていますが、江戸では職を転々としながらその日暮らしをする生活を送っていたようです。

継母に罵られながら実家に残っているほうがまだ、楽だったかもしれませんね。

江戸にて俳句と出会い、葛飾派の宗匠たちに師事

25歳ほどになると、一茶は俳人として生計を立てるようになります。

松尾芭蕉の友人、山口素堂やまぐちそどうが起こしたグループである葛飾派かつしかはの一員として、二六庵竹阿にろくあんちくあ溝口素丸みぞぐちそまる・森田元夢といった宗匠たちに師事しました。

なんでも一茶は入門の当初から書記の役割を与えられていたといい、これは弟子のなかでも師匠に実力を認められた者にしか任されないことだったといいます。

このころからすでに才能の片鱗を見せていたのですね。

しかし一茶が俳人として名を馳せるようになるのは40~50代になってからの話。

俳句の世界というのはいかにも一筋縄ではいかないものだったようです。

非常に勉強熱心だった一茶

一茶の才能に磨きをかけたものは、人並外れて勉強熱心だったその姿勢でした。

彼は葛飾派の弟子でありながら、夏目成美・鈴木道彦などの他派の有力な俳人とも交流をもち、俳句を学んでいました。

成美に関しては貧乏暮らしの一茶を援助するなど、特に目をかけていたようです。

さらに学びの姿勢は人からだけではなく、一茶は日頃から本の虫で、源氏物語や古事記、日本書紀、さらには詩経しきょうのような中国の古典までも愛読していたといいます。

極めつけは幾度にも渡る俳句修行の旅

特に30歳からの関西・四国・九州を巡る旅は6年にも及び、一茶はかなりの力を付けたといわれています。

この旅で各地の俳人から句を集めた彼は

・『たびしうゐ』

・『さらば笠』

という句集も発表しました。

師匠に書物に旅に…他方から学びを得ようとしていた一茶の姿勢にはただただ感嘆させられます。

父の死・遺産分割をめぐって継母・弟と13年間の争い

1801年、一茶が39歳のころに、父・弥五兵衛は亡くなってしまいます。

このとき弥五兵衛は安定しない一茶の暮らしを危惧したのか、弟の仙六と遺産を二分にするようにと、遺言を残しました。

しかし継母のはつと仙六は、これにうんとは言いません。

農家を切り盛りしてきたのは自分たちで、15歳から家を空けていた一茶に相続する義理はないというのです。

こうして一茶は実家に帰るたびに遺産分割の件を切り出すものの、何度も突っぱねられ、その争いはなんと13年に渡って続いたといいます。

15のころに継母との関係で人生が狂わされたかと思えば、ここに来てまた継母。

一茶の生涯には終始、この人との確執がついて回ったのですね。

晩年も踏んだり蹴ったり…

1814年、一茶が52歳のころに遺産相続の話もなんとかまとまり、彼はようやく柏原の実家へと戻ることができるのですが、その晩年にしても決して恵まれたものではありませんでした。

実家に戻ると同時に菊という女性と結婚した一茶でしたが、4人生まれた子どもはいずれも2歳を迎える前に亡くなり、挙句にはまでも37歳の若さで他界します。

さらに一茶自身も脳卒中により、歩行障害・言語障害を患い、暮らしはどんどん不自由に。

このころになると俳人としての名声は全国へ広がり、ようやくその地位は確立できたはずでしたが、これでは幸せなのかどうなのか…といった感じですね。

さらにその後一茶は2人目の妻と離婚、64歳のころ、3人目の妻を迎えてようやく身を落ち着けるかと思った矢先、65歳にてこの世を去りました。

もっといえば没年の前の年には実家が火災で全焼し、住処を土蔵へと追いやられていますから、一茶の晩年はとにかく最後まで踏んだり蹴ったりだったことになります。

 

きょうのまとめ

俳人・小林一茶の生涯はその大半が家族との争い、貧乏など、苦難に満ちた内容でした。

しかしその苦労の多い人生と、自ら進んで修行の道に身をゆだねていったことで優れた作品を残し、後世に評価されていることは紛れもありません。

人生はうまくいかないからこそおもしろい、だから詠む句もおもしろくなる。

一茶の生き様からはそんなひとつの価値観を学ぶことができます。

最後に今回のまとめをしておきましょう。

① 小林一茶は継母との反りが合わず、15歳で実家を追いやられた

② 江戸で出会った俳人という職はまさに天職。当初から葛飾派の書記を務めるなどの才能を発揮していた

③ 弟・継母と13年にも渡って遺産相続争いをした。のちの人生も家族との離別や病気などで報われず…

こう見てみると、その生涯に安息の暇などあったのかな…?と、少し気の毒になってくるぐらいです。

それでも穏やかな句をたくさん残した一茶は、大層強い心の持ち主だったのでしょうね。

 

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