花山天皇はかなりの問題人物です。
性格も行動も・・・。
たった2年の在位のあと、まだ19歳という若さで騙されたようにして出家させられ(本意ではなかったと考えられます)ました。
出家にまつわる話では同情すべき点もありますが、それにしても。
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花山天皇・法皇の狂気
986年に出家して都を去った花山法皇は、992年ころに帰京しました。
実は、花山法皇の父親である冷泉天皇は、気の病みがあったとされ、奇行が目立つ人物でしたが、京に戻ってからの法皇も、冷泉天皇譲りとも考えられるおかしな行動が目立っていました。
わりと乱暴な性格
996年に藤原伊周と隆家兄弟が花山法皇に矢を射かけるという大事件が起きますが、それ以前から花山法皇は藤原隆家と妙なことで張り合ったようです。
歴史物語『大鏡』によれば、ある時法皇は、「自分の邸宅の門前を無事に通ることは出来ないだろう」と言って隆家を挑発したのです。
「それくらいのことは出来る」と挑戦を受けた隆家。
彼は頑丈な牛車を用意し、50人から60人の従者を従えて花山院へと向かいました。
しかし、花山法皇は獰猛な僧侶を中心にした80人から90人もの従者を配置して待ち構えていたのです。
しかも彼らは身の丈ほどもある杖と大きな石を持っていました。
これだけの人数で武器まで用意されたのではたまりません。
さすがの隆家も法皇の家の前を通ることはできず、敗北を認めざるを得なかったようです。
しかし、法皇たる人物が一体何でそんなことをしたのでしょうか。
理解しがたい奇行
984年の花山天皇即位式の儀式の途中で王冠を脱ぎ捨ててしまったことも記録に残っています。
当時の朝廷の実力者・藤原実資が記した日記『小右記』によると、
「王冠が重くて仕方がないので脱いでしまうぞ」
と言って花山天皇が王冠を頭から降ろしてしまったのです。
過去に例のない子供じみた奇行は、朝廷の歴史における大珍事でした。
かなりの好色
それは花山天皇自身の即位式の直前のこと。
儀式の中で自分が座ることになる天皇の玉座の上に気に入った美しい女官を招き、淫らな行為をしたということが『江談抄』という平安時代後期の書物に伝わります。
自分の即位式のための神聖な場をなんと思っていたのでしょうか。
また、出家して僧籍となっても花山法皇の好色ぶりは止まりませんでした。
大勢の女性と関係を持ち、中には自分の乳母とその娘との両方と関係を持ち、それぞれに男の子を産ませるなど、もうメチャクチャ。
世間の人は、母親のほうを「母腹宮」、娘のほうを「女腹宮」と呼んだとか。
一般に、法皇という立場は、天皇や皇太子よりも行動に制限が少なく、自由に振る舞えることもあって、花山法皇は貴族社会を困惑させるほどの奇行を繰り返していたのでした。
花山法皇襲撃事件(長徳の変)のきっかけも花山法皇が原因を作った
花山法皇襲撃事件は、996年に起きました。
この事件は藤原道長の兄であり、関白だった藤原道隆の息子・伊周の勘違いから起きたものです。
伊周は、もと太政大臣だった藤原為光の三女の元に通っていました。
そして、花山法皇もその同じ屋敷にいる四女(天皇時代に寵愛していた藤原忯子の妹)の元に通い出したのです。
すると、法皇が三女の元に通っているに違いないと思い込んだ伊周は、弟・隆家と共に従者を連れて法皇を襲い、法皇の衣の袖を弓で射貫いたのでした。
法皇に矢を射かけるなど前代未聞の出来事です。
やられた花山法皇も、出家した身の上でありながら女通いを止められなかったバツの悪い事実をできる限り隠蔽したい、と考えたでしょう。
しかし、道長はこれを重大事件として最大限に利用し、政敵であった伊周と弟の隆家を左遷して中関白家と呼ばれたライバルの彼らを排斥したのでした。
女好き花山法皇の出家者として自覚の欠けた行動は、自分の身を滅ぼしかねない事件へと発展し、結果として藤原道長がますます政治権力を強めていきました。
花山天皇の行動の理由
花山天皇は間違っても賢君と称せられるような存在ではありませんでした。
上記以外にも、彼にまつわる多くのスキャンダルや奇行が記録されています。
しかし、彼にも少しは同情の余地を与えられるべきかもしれません。
冷泉天皇という心を病んだ人物を父親に持ち、皇位争奪戦や藤原氏同士の政権争いにも巻き込まれて、花山天皇が精神的に疲弊していった可能性もあります。
彼の奇行は、そんなドロドロの状況の中で心のバランスを取るために必要だったウサ晴らしであったかもしれません。
きょうのまとめ
今回は、花山天皇の性格的な問題やスキャンダラスな生活についてご紹介いたしました。
簡単なまとめ
① 花山天皇の身勝手な性格とかなりの好色は出家しても治らなかった
② 花山天皇には気の病を起こしていた父・冷泉天皇からの遺伝的影響があった可能性がある
③ 花山天皇の問題行動は、政権争奪戦に巻き込まれる日常で精神的なバランスを取るためのウサ晴らしだった可能性もある
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