新井白石とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

江戸中期を代表する政治家新井白石(あらいはくせき)。

正徳の治(しょうとくのち)を行った中心人物として知られております。

確かに、徳川綱吉、松尾芭蕉などの元禄(げんろく)時代、徳川吉宗、大岡越前などの享保(きょうほう)時代に比べてちょっと地味な印象。

ただ、そうやってあまり人が注目しないだけに余計に興味がわいてきませんか。

新井白石はどんな人?

  • 出身地:上野国新田郡新井村(現在の群馬県太田市)
  • 生年月日:1657年3月24日
  • 死亡年月日:1725年6月29日(享年68才)
  • 正徳の治を行った政治家。

新井白石 年表

年表

西暦(年齢)

1657年(0才)新井白石生まれる

1693年(36才)新井白石、甲府徳川家に仕官

1710年(53才)甲府藩主徳川綱豊が江戸幕府第6代将軍徳川家宣として即位する

1716年(59才)徳川吉宗が江戸幕府第8代将軍として即位する

1725年(68才)新井白石死亡

下級武士の子新井白石、幕府政治家への出世の道

新井白石は幼いころからびっくりするぐらい賢かったというエピソードがあります。

なんと3才でお父さんの読む学問の書物をそっくり書き写していたという。

ほんとかよ!?

ただ、びっくりするぐらい向こうっ気が強くて”火の子”なんてあだ名があったようです。

ちなみに白石は下級武士の家です。

ここから幕府を切り盛りするような人になるのだから大出世です。

白石のお父さんは土屋というお殿様に仕えておりました。

この土屋直樹という人がちょっと”狂気”があったようで、白石のお父さんは「 こんな人には仕えられない 」と出勤拒否してしまいます。

おかげで土屋家から”クビ”を宣告されます。

ちなみにこの土屋直樹は殿様として本当に何か困った行いがあったものか、後々に幕府から土屋家ごと改易(今でいう倒産のようなもの)させられてしまいました。

こんなわけで息子の白石は大変な貧乏の中、勉強に明け暮れ、だんだん頭角を現してゆきます。

そんな白石を甲府藩が見つけ、雇い入れました。

ちなみにこの時の甲府藩主が徳川綱豊です。

江戸幕府では先代の徳川綱吉が亡くなり、後継ぎがおりません。

そこで新たに将軍に選ばれたのがあの綱豊。

第6代将軍徳川家宣(いえのぶ)として即位し、白石の活躍が始まります。

新井白石の正徳の治

白石の前の時代は荻野重秀(おぎのしげひで)が政治・経済で活躍し、「インフレ政策」を取っておりました。

「インフレ政策」とは物価(商品の値段)の上がる政策のことです。

でも、それがちょっと行き過ぎていたので、白石は「インフレ阻止」の方策をいろいろと行います。

新井白石の政治①貨幣改鋳

まず、貨幣改鋳(かへいかいちゅう)

当時のお金には金や銀がたくさん混ざっておりました。

でも、荻野は「それじゃお金が足りなくなる」ということで金や銀の混ぜる量を少なくし、いっぱい世に出回らせておりました。

でも、おかげでお金の価値が下がって物価が上がりすぎです。

白石は「それではいかん」と、お金に含まれる金や銀の量を増やしました。

これじゃ、お金があまり世に出回りません。

すると、お金の価値が上がります。

物価もおさえられます。

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新井白石の政治②長崎貿易の制限

そして、幕府が直接支配する長崎にも白石は手を加えました。

当時の長崎は日本で唯一外国に開かれた港ですね。

当時、ここからいっぱい金や銀なんかが海外に輸出品として売られていて、おかげで国内の金銀が少なくなってしまいます。

「いけません」

と、白石はここの貿易を制限してしまいました。

ほかにも、勘定吟味役(かんじょうぎんみやく)を作って幕府のお金の出入りを厳しくチェックしたり、綱吉の作ったあの生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)を即廃止にしました。

しかし、白石の後ろだてになった第6代第7代将軍があまりに早く亡くなり、その後を継いだ第8代徳川吉宗が即位します。

すると、白石を即お払い箱にしてしまい、白石の改革は中途半端になってしまいました。

しかも、「インフレ阻止」に頑張りすぎたおかげで逆に「デフレ(物価が下がる)」になってしまい、新たな問題も作ってしまいました。

かなり賢く情熱家の白石でしたが、政治というのは難しいものですね。

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きょうのまとめ

政治家として引退後も一生懸命本を書いたりしていたようです。

この人は政治家だけでなく学者として漢詩家としても有名なんですね。

① 新井白石は賢くて情熱家。貧乏でも勉強を頑張り幕府の政治を取り仕切るほどになった。

② 新井白石は「正徳の治」で、貨幣改鋳、長崎の貿易制限などを行い、インフレを止めようとした。

③ 新井白石の行った改革は成功もあったが、中途半端だったところ、うまくいかなかったところもあった。

いかがでしょう。
白石のように「 ものすごくまっすぐ 」なことは時にそれるとまずいことになってしまいます。しかし、大変に魅力的でもあります。

人間の長所は短所、短所は長所、表裏一対になっているんですね。

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