加藤清正の用いた家紋とは?桔梗紋も使われた?

 

豊臣秀吉お気に入りの家臣で、賤ヶ岳の7本槍の1人として有名な武将

加藤清正

秀吉の死後は徳川家康の家臣となり尽力してきました。

加藤清正は家紋に桔梗(ききょう)を使っていたといいます。

なぜ桔梗の紋を使ったのか、またその他にも使用した家紋はないのか調べてみましょう。

 

蛇の目の家紋

加藤清正の兜についているのが、蛇の目紋(じゃのめもん)です。

これはその名の通りヘビの目の形からとったものです。

昔からヘビは神聖なものとされていました。

そして強さも持っていました。

加藤清正はその力を借りて数々の戦を乗り切った来たのですね。

この形はとてもわかりやすく、

敵に自分のことを知らせるのにとても便利でした。

この蛇の目紋は別名、弦巻紋(つるまきもん)といいます。

弦巻とは、スペアの弓弦(ゆずる)をまきつけて収納する輪のことです。

弓弦とは弓の両端に張る糸のことを言います。

この紋は日蓮宗の開祖である日蓮が使用したもので、日蓮宗の信徒がよく使っています。

加藤清正も日蓮宗を信仰していましたから、この紋を選んだものと思われます。

 

桔梗紋

加藤清正は桔梗紋も使っていました。

1588年に熊本の領主になる清正に、豊臣秀吉が讃岐の尾藤知定(びとう ともさだ、知宣(とものぶ)ともいう)の家財を与えました。

その尾藤家の家紋が桔梗紋だったのです。

尾藤知定は、戸次川の戦いで大敗した仙石秀久の後継として軍監となったのですが、

軽はずみに動くことをせず慎重だったため、島津軍を攻める絶好の機会を逃してしまいました。

そのため秀吉の逆鱗に触れ、

所領は没収され追放の身の上となったのです。

そんな尾藤家の武具や家具を与えられた清正は、

それ以来自分の家具などには桔梗紋を使うようになりました。

またこの時尾藤家の家臣たちを清正は自分のもとに引き受けたとされています。

なんだかあまり縁起が良くない家紋のような気がしますが、なぜ蛇の目紋に変えず、この家紋を使うようになったのでしょう。

桔梗紋を使っていたのは清正だけではありません。

本能寺で織田信長を討ち取った明智光秀もこの桔梗紋を使っています。

桔梗紋は鎌倉時代から続く土岐氏とその一門が用いた家紋です。

加藤清正は明智光秀の先祖から枝分かれした、

つまり土岐氏を先祖に持つ人だったと言われています。

加藤清正と明智光秀は遠い親戚だったのですね。

桔梗紋を使い始めたのは、尾藤家から家財を譲り受けた時からですが、

もともと加藤清正は桔梗紋を使ってもおかしくない立場の人だったのです。

 

きょうのまとめ

加藤清正が使った蛇の目紋は主に戦場で、

桔梗紋は祝い事などや家具にときっちり使い分けられていたようです。

祝い事に桔梗紋を使うあたり、加藤清正はこの紋を大事にしていたことがわかります。

それにしても加藤清正と明智光秀が先祖を同じくするということには驚きました。

 

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