加藤清正は豊臣秀吉に仕え、数々の戦場で手柄を上げてきました。
賤ヶ岳の7本槍のひとりに数えられたほどの腕の持ち主です。
そんな加藤清正の戦さ場でのスタイルはどのようなものだったのでしょうか。
今回は加藤清正の兜や甲冑についてみていきましょう。
長烏帽子形兜(ながえぼしなりかぶと)

加藤清正の兜はその名前から想像できるように烏帽子の縦長いものでした。
清正自身の身長が190センチメートルと伝えられています。
当時の平均身長が160センチメートルに満たないというのに、桁外れに大きな体格です。
その長身な清正が、長烏帽子の兜を着用すると、より大きく見えたでしょう。
兜の正面には、家紋の「 蛇の目紋 」がこれまた大きく描かれています。
大男が、大きな蛇の目を向けて戦いに臨んでいたのかと思うと、
敵をたじろがせるのは容易だったことでしょう。
また遠くからも目立つので、加藤清正はそこにいることがわかり、
味方の兵には安堵感を与え、敵の兵には恐怖を見せつけたのです。
この兜は、熊本市の熊本城近くの本妙寺(日蓮宗のお寺)に現存するそうです。
金小札色色威片肌脱胴具足(きんこざねいろいろおどしかたはだぬぎどうぐそく)

加藤清正の甲冑は、金小札色色威片肌脱胴具足と呼ばれるもので、兜同様に変わったものでした。
胸部と背部に片肌を脱いであばら骨の浮いた肉色の身体をのぞかせた具足で、まるで生身の死体を想像させるような気味の悪いデザインでした。
大きな男が長烏帽子の兜を被り、この具足を身につけて登場すれば、敵は相当怯んだことでしょう。
それにしても、加藤清正は変わったものが好きだったのか、とにかく目立っていたことは確かです。
この具足は現在、東京国立博物館に所蔵されています。
他にも戦場で目立ったもの
加藤清正は日蓮宗の熱心な信者でした。
それで彼は戦場で使う旗に、
「 南無妙法蓮華経 」
と白地の布に朱色で大きく書いていました。
これは題目旗と言われました。
また加藤清正が190センチメートルの大男だということもあってか、
彼の愛馬の体高は同じく190センチメートルもあったそうです。
仏教の守護神「 帝釈天 」から名前をもらい「 帝釈栗毛 」と名付けられています。
きょうのまとめ
加藤清正の兜も甲冑も、馬にしても全てが大きいものばかりです。
それは戦場で加藤清正の存在を嫌という程知らしめることだったでしょう。
敵には恐怖を、仲間には安心感を与えたこの姿は、まさに戦国の世を駆け抜けた名将だったといえるでしょう。
ちょっと変わった趣味だったと言えなくもないですが。
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