ユスティニアヌス帝後のイタリアを占領したランゴバルド族とは

 

ペストの大流行やササン朝ペルシャとのはてなき戦争……。

あいつぐ苦難によって急激にその力を失ってゆく東ローマ帝国

そして、ついにユスティニアヌス帝の死亡とほぼ時を同じくしてイタリアに突然侵入してきた勢力があります。

ランゴバルド

あっという間にイタリアを奪ったそのナゾの勢力とはいったいどのようなものだったのでしょうか。

 

ランゴバルド族とは

ランゴバルド族のふるさとはスカンジナビア半島南部だといわれております。

人口が増えすぎ、土地がたりなくなり、ランゴバルド族の一部がバルト海をわたって南に移動しました。

彼らは人数が少ないながらとっても勇猛

時にはローマ帝国の軍を打ち破り(西暦9年トイトブルク森の戦い)、ほかの大きな部族からもおおむね独立を保ち続けます。

その後、ヨーロッパ大陸の中央部へ民族移動。

東ローマ帝国ユスティニアヌス帝と同盟を結びます。

 

おそるべし!ランゴバルド

ユスティニアヌス1世のモザイク画(ラヴェンナ・サン・ヴィターレ聖堂)

当時、ユスティニアヌス帝はイタリア半島の東ゴート王国に攻め込んでおりました(535~554年ゴート戦争)。

ユスティニアヌス帝とすればランゴバルドは東ゴート王国をやっつけるための心強い味方です。

たしかにランゴバルドは戦争では活躍します。

ところが、さすがに荒くれ者。

イタリアでは放火に強盗にやりたい放題。

さらに、東ローマ帝国の領内に入って略奪をおこない、住人たちをさらって奴隷にしてしまいました。

……。

 

各部族と国の仁義のないやりとり

東ローマ帝国だってランゴバルドを野放しになどいたしません。

ランゴバルドとバチバチにやりあっているゲピド族と手を結びます。

そこでランゴバルドだって手をこまねいてはいません。

ランゴバルドの新たな王アルボインアヴァール人という今のハンガリーを中心に活躍した強力な騎馬民族と同盟いたします。

ゲピド族危うし!

東ローマ帝国さん助けて!

ところが、東ローマ帝国はこれを無視

ゲピド族滅亡です。

 

ランゴバルド王国成立

さあ、でもこれでランゴバルドにとって不安がなくなったわけではありません。

いや、ますます深刻になりました。

アルボイン

「アヴァールの連中はあの戦争のおかげでますます強くなってやがる。それどころかうちもつぶされかねえ」

そこで、ロックオンしたのがイタリア半島。

アルボイン

「あすこをおれたちのもんにしちまえばいいんだあ。東ローマ帝国はおれ様たちを田舎もんだと思ってバカにし、

都合のいい時だけ利用して、いらなくなったら平気でおれたちの敵(ゲピド族)に手を回しやがる!」

東ローマ帝国のイタリアにはかつてナルセスという有能な将軍がいたのです。

名将ベリサリウスと(時に仲間割れしつつ)ともに戦い、東ゴート王国との戦いでは大活躍。

ところが、ユスティニアヌス帝亡き後、もうクビになっておりました。

アルボインはアヴァール人に対し、

「今のウチの領土みんなあげるからかわりにお宅の戦闘員分けてくれよ」

と契約を結び、さらに、ザクセン人からも戦闘員を分けてもらってイタリアに侵攻します。

東ローマ帝国軍は敗れ、イタリアはランゴバルドのものとなりました。

672年ランゴバルド王国成立です。

 

アルボインのその後

ところが、ランゴバルド王国を築いてすぐに大変なことが起こってしまいます。

なんとあのアルボインが暗殺されました。

一説にはその首謀者は彼の奥さんだといいます。

実はこの奥さん、もとはアルボインらに滅ぼされたゲピド族の部族長の娘なのです。

なんとアルボイン、彼女のお父さんのどくろを杯にし、彼女を自分の奥さんにしてしまったのです。

ともかく、ランゴバルドはかつての東ゴート王国のようにローマ帝国のマネをしようという気はほぼありません。

そのため、古代ギリシャ・ローマ時代はこのイタリア半島ですっかり終わり、西ヨーロッパに中世が始まった、とすら言われます。

ランゴバルド王国はその後200年ほど続きます。

この王国を滅ぼしたのはフランク王国のカール大帝です。

 

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きょうのまとめ

う~ん、いろいろと仁義がなさすぎます。

それにしても大陸の攻防は私たち日本人にはうかがい知れないような厳しさを感じずにおれません。

こうならないように私たちはいろいろと歴史から学ぶ必要があります。

東ローマ帝国はほかにできることがあったんじゃ……。

① ランゴバルド族はとても勇猛

② ランゴバルドはユスティニアヌス帝亡き後のイタリア半島に攻め込み、占領、建国

③ ランゴバルド王国の獰猛な王アルボインは建国2年後に暗殺された

 
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