ユスティニアヌス帝東ローマ帝国vsホスロー1世ササン朝ペルシャ

 

偉大なるローマ帝国よふたたび!

6世紀東ローマ帝国にあらわれた皇帝ユスティニアヌス帝はその領土をドンドン広げてゆきます。

これに対して立ちふさがった最大のライバルがササン朝ペルシャ

ササン朝史上一番の名君と言われているホスロー1世がひっぱります。

ユスティニアヌス帝vsホスロー1世

東と西を代表する両国の激闘の果てやいかに。

 

ペルシャとは

ホスロー1世
出典:Wikipedia

ペルシャというのは今のイランあたりの別名です。

そもそもイランってほかのアラブとは民族がちがうのですよ。

かれらの使う言語はペルシャ語です。

ほかのアラブはアラブ語です。

 

ササン朝ペルシャと東ローマ帝国

世界史をやっているとペルシャはいっぱい出てきます。

アケメネス朝ペルシャとか、サファビー朝ペルシャとか。

ササン朝の建国は3世紀。

今のイランを中心にだんだん大きくなっていったササン朝はついに東ローマ帝国と国境を接するようになります。

そして、この両国はおすすめしてる宗教がちがうのですね。

●ササン朝はゾロアスター教

●東ローマ帝国はキリスト教

こんなちがいもあってたびたびおたがいバチバチとやりあいます。

 

第1ラウンド

ササン朝のホスロー1世が皇帝になったのは531年

東ローマ帝国のユスティニアヌス帝527年

ほとんど同じ時期。

もはや因縁は避けられません。

東ローマ帝国ではユスティニアヌス帝の先代のころからササン朝とは戦争状態

ユスティニアヌスはこれを引き継ぎますが、ササン朝は強いです。

一進一退。

東ローマ帝国がほこる最強将軍ベリサリウスですら負かされたことがあります。

そんな矢先、ササン朝に立ったのがホスロー1世

ユスティニアヌスはササン朝にいっぱいお金を支払って、「永久平和条約」を結びました。

 

「永久平和条約」破られる

ユスティニアヌスはこうして東の強敵とやりあわなくて済むようになります。

まず手始めとして北アフリカに攻めこみ、ヴァンダル王国を滅ぼしてしまいます。

そして、今度はイタリアにある東ゴート王国に攻め込みます。

東ゴート王国ピーーンチ!

そこで東ゴート王国はこう考えます。

「ササン朝ペルシャさんに東ローマ帝国の後ろをついてもらおう。なら、東ローマ帝国も苦しくなるだろう」

東ゴート王国はササン朝ペルシャに使者を送ってお願いします。

そして、ホスロー1世は動いてしまいます。

「永久平和条約」8年で破られました。

 

ホスロー1世はどんな人?

さて、ではユスティニアヌス帝最大のライバル、ホスロー1世とはいったいどういう人だったのでしょうか。

ササン朝全盛期を築き上げ、その死後には「不滅の魂を持つ者」と送り名されております。

その功績はこちらです。

●税制改革で収税をスムーズに

●灌漑農業をおしすすめ、農業増産

●交通網を整備して商業力強化

●大貴族の力をおさえ、中央集権化に

●哲学を保護、国内の学問や科学をさかんにする

など。

かなり有能な政治家です。

それでいて戦争にもなかなか前のめり。

東のローマ帝国と激しくやりあうだけでなく、西の強力な遊牧民族国家エフタルを滅ぼしてしまいました。

 

第2ラウンドはどうなったの?

東ローマ帝国とササン朝ペルシャの戦いはいよいよ泥沼化です。

途中、名将ベリサリウスがいきなりコンスタンティノープルに呼び戻されることがあったり(※)。

ペストが大流行してかなりたくさんの人たちが亡くなってしまったり。

戦争が始まって22年後、やっとおたがいのあいだで講和条約が結ばれ、終わりました。

(※)ユスティニアヌスがペストにかかってしまいました。
これを聞いたベリサリウスは、「今、陛下が亡くなったら、テオドラが皇帝になってしまうじゃないか」ともらしてしまったとか。
この発言は「おれ様(ベリサリウス)が次の皇帝をねらってるんだぜ」と言っているようなものです。

 

きょうのまとめ

ホスロー1世、ユスティニアヌス帝のあとも両国の激しいバトルは何度もおこり続けます。

結局、東ローマ帝国はユスティニアヌス帝の晩年には衰退に向かいます。

ササン朝もたびかさなる戦争などによってすっかりすりへってゆき、ついには新たに興ったイスラム勢力によってあっけなく滅ぼされます。

漁夫の利。

ライバルとはいえ、おたがいにすり減る関係はよろしくありません。

おたがいのためにあらためあいましょう。

① ササン朝ペルシャと東ローマ帝国は因縁のライバル

② ユスティニアヌス帝とホスロー1世の間で取り結ばれた「永久平和条約」はたった8年で破られた

③ ササン朝ペルシャと東ローマ帝国はおたがいつぶしあいすぎて共倒れになった

この戦争でおたがいにどれだけの犠牲が出たものでしょう。

歴史書ではあまり語られませんが、こういった災害でいつも悲惨な目に合うのは必ず弱い方からです。

教科書や参考書のささいな単語からでもそういった想像力をきたえてゆくように心がけましょう。

現実として教科書に名前の載らない私たち圧倒的大多数も彼らと同様にそれぞれの歴史の主役です。

 
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