伊藤博文の家族と子孫について|伊藤家の家系図を見てみよう

 

初代内閣総理大臣をはじめ、数々の栄職を歴任した伊藤博文(いとう・ひろぶみ)。

そんな彼の家族や子孫には、どのような人物がいるのでしょうか。

今回は伊藤博文のプライベートな面にも注目していきたいと思います。

伊藤家 家系図

伊藤家の家系図です。

本文といったりきたりしながら読み進めて頂くと分かりやすいかもしれません。

伊藤博文の家系図
 

伊藤博文の家族はこんな人たちだった

ではまず、伊藤博文の家族について簡単にご紹介していきます。

なかなか濃いエピソードもありますよ。

父・十蔵が養子に入った先がまた

伊藤博文は1841年10月、長州(現在の山口県)に伊藤十蔵と琴子の間に誕生しました。

父親の重蔵はもともと農民の子でした。

しかし貧しさゆえ、39歳にして妻子を連れ、水井武兵衛(のちの伊藤直右衛門)という人の養子になります。

さらに水井武兵衛は、足軽の伊藤弥右衛門のところへ養子に入りました。

現代の感覚では、よくわかりませんよね。笑

何はともあれ、このような経緯で十蔵と子・博文も足軽となったのでした。

武士とはいえ身分の低かった伊藤博文は、松下村塾の講義を外で立ち聞きしていたというエピソードは有名です。

内助の功!日本初のファーストレディー・梅子

伊藤博文は非常に女性関係が派手だったことが知られています。

本当に色々あったのですが、それを書くのはまた別の機会にさせていただき、今回は割愛します。

そのため、奥さんには大変な迷惑をかけていたのですが、当の本人はとてもしっかりした方でした。

伊藤博文の後妻に迎えられた梅子はもとは芸妓(げいぎ)で、はじめは読み書きもできませんでした。

しかし博文と手紙のやり取りをするため、文字を勉強したそうです。

さらに政府の要人となった博文を支えるため、英語も猛勉強。

外国人客をもてなすため、社交ダンスの練習にも励みました。

そして夫がいくら女遊びをしようとも、ほとんど文句は言わなかったようです。

日本初のファーストレディーは、これほどに器の大きい女性だったのですね。

伊藤博文の息子は安重根の息子と面会していた

伊藤博文の子に、文吉(ぶんきち)【1885-1951】という人物がいます。

伊藤文吉は、内閣総理大臣秘書官や貴族院議員などを務め、実業家としても活躍しています。

そんな文吉は昭和14年(1939年)、とある人物と面会していました。

その相手とは、安重根(あんじゅうこん/アン・ジュングン)の息子・安俊生でした。

安重根とは韓国の独立運動家で、1909年、伊藤博文をハルビン駅のホームで暗殺された人物とされています。

息子である安俊生は文吉に謝罪、文吉も「 いまさらなんの罪を詫びることがありましょう 」と返したといいます。

実は伊藤家と安家は、和解していたのですね!

玄孫は外務大臣に

それでは、伊藤博文の子孫にはどういった方がいらっしゃるのでしょうか。

調べてみたところ、現職の衆議院議員であることがわかりました(2018年1月現在)。

現在は自民党に所属している松本剛明(たけあき)氏は、伊藤博文の玄孫(げんそん/やしゃご)に当たる人物です。

松本氏は民主党政権下の2011年、菅第2次内閣で第146代外務大臣に任命されました。

現職の議員さんなのでここでは色々書けませんが、先祖が伊藤博文というのはプレッシャーにならないのかな、と思ったりもします。

きょうのまとめ

今回は伊藤博文の家族と子孫について簡単にご紹介しましたが、いかがでしょうか。

① 父の重蔵が養子に入った先が伊藤家の養子になった

② 日本初のファーストレディー・伊藤梅子は器がとても大きい女性だった

③ 博文の息子・伊藤文吉は、安重根の息子と和解していた

④ 玄孫の松本剛明氏は第146代外務大臣を務めた

こちらのサイトでは他にも、伊藤博文にまつわる記事をわかりやすく書いています。

ご興味をお持ちの方は、ぜひご覧になってくださいね。

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