お札の肖像としてもお馴染みの
樋口一葉。
彼女はどんな人物だったのでしょうか。
樋口一葉の生涯を知れば、五千円札をありがたく思えるかもしれません。
今回は明治時代の女流作家・樋口一葉の人生について簡単にご紹介します。
タップでお好きな項目へ:目次
樋口一葉はどんな人?
- 出身地:東京府(現在の東京都千代田区)
- 生年月日:1872年5月2日
- 死亡年月日:1896年11月23日(享年25歳)
- 明治時代の女流作家。代表作『たけくらべ』は森鴎外や幸田露伴らも絶賛した。
樋口一葉 年表
西暦(年齢)
1872年(1歳)東京・内幸町に生まれる。
1886年(15歳)中島歌子の萩の舎に入門する。
1888年(17歳)兄・泉太郎が他界する。
1889年(18歳)父・則義が他界し、樋口家を継ぐ。
1891年(20歳)文学活動を開始。半井桃水に師事する。
1893年(22歳)下谷竜泉寺町に移る。
1894年(23歳)本郷丸山福山町に移る。『大つごもり』を発表する。
1895年(24歳)『たけくらべ』『にごりえ』を発表する。
1896年(25歳)森鴎外らの評価を得る。死去。
貧しいながら短期間で名作を次々と生み出すも早世
明治5年、樋口一葉(本名、夏子・奈津とも)は東京府庁構内の官舎で生まれました。
父の則義はその頃、東京府庁の役人をしていたからです。
経済的に余裕があった幼少期
則義は役人の他、金融や不動産業も営んでいました。
後大変貧しい生活を強いられる樋口一葉ですが、幼少期は経済的に余裕があったのです。
そして一葉は、学校で非常に優秀な成績を修めていました。
しかし一葉の母は、女に学問はいらないという考えを持っていた人物。
そのため12歳の時、樋口一葉は学校を辞めています。
ですが15歳になると、歌人・中島歌子の萩の舎に入門。
ここで一葉は、和歌と古典を学んでいます。
父親の死で貧乏に
しかし兄の泉太郎が亡くなり、さらに父は事業に失敗します。
やがてすぐに父も亡くなると、樋口一葉は父の借金を背負い、家族を養わなければいけなくなりました。
貧しい暮らしを強いられた一葉は、収入を得る道を探すことになります。
そんな時、萩の舎で同門の三宅花圃が小説『藪の鶯』を発表。
彼女がそれにより、多くの原稿料を受け取ったことを知ります。
これに刺激を受けた樋口一葉は、小説家を志すことにしました。
短かった作家生活
そして朝日新聞の半井桃水という人物の弟子になります。
桃水の主宰する雑誌『武蔵野』に処女作『闇桜』を発表。
その後、文芸雑誌『文学界』にも作品を複数発表しています。
一葉は吉原近くの下谷竜泉寺町(現在の東京都台東区)に移ると、雑貨・駄菓子屋を開きます。
この下谷竜泉寺での体験が、『たけくらべ』に生かされています。
ですが翌年には店を閉め、本郷丸山福山町(現在の東京都文京区)に移りました。
相変わらず貧しい暮らしをしていた樋口一葉でしたが、徐々にその名声は高まっていきます。
ついに森鴎外や幸田露伴など、辛辣で知られる批評家たちから『たけくらべ』が高い評価を得ます。
しかしその年、肺結核によって25歳という若さで樋口一葉はこの世を去りました。
作家としてもこれから、という時でした。
樋口一葉にまつわるエピソード
それでは、樋口一葉の有名な恋愛・結婚エピソードを3つほどご紹介していきます。
許嫁に婚約破棄される
樋口一葉には許嫁の男性がいました。
渋谷三郎という人物だったのですが、彼は一葉に高額の結納金を要求してきたのです。
父親が亡くなった後であったため、当然支払うことなどできませんでした。
婚約破棄と父の死、そして貧乏を同時に味わうことになった樋口一葉。
その心中は察するに余りあるものがあります。
そして、なんと図々しいというか、かえって気持ちがいいこの男性。
樋口一葉の名が世間に知られるようになると、今度は求婚してきたそうです。
当たり前ですが、一葉はきっぱりと断ったんだとか。
半井桃水との許されなかった恋
小説で生計を立てようと、樋口一葉が弟子入りをした半井桃水。
一葉と桃水は師弟関係のみならず、男女としても親しい仲になります。
その噂が広まり、萩の舎の中島歌子からも叱責を受け、絶交までされる始末。
二人とも独身でしたので、一葉と桃水の関係は何ら問題ないようにも思えます。
ですが当時は、結婚を前提としない男女の付き合いなんてとんでもない、とする時代でした。
そのため一葉は桃水のもとを離れることに。
しかし樋口一葉は終生、桃水に想いを寄せていたそうです。
夏目漱石の兄と結婚していたかもしれない
明治の文豪・夏目漱石にまつわるエピソードもあります。
なんと、漱石の兄・大助との間に縁談が持ち上がったことがあったのです。
きっかけは一葉の父と漱石の父同士が、同じ職場に勤めていたことでした。
一葉の父が、漱石の父に借金の申し出を何度もしてきたことから破談になったそうです。
確かに、そんな人と親戚になるのは辛そうですからね。
ですが、もしかしたら樋口一葉が夏目漱石の義姉になっていたかと思うと、その縁談を進めて欲しかったですね。
きょうのまとめ
今回は樋口一葉の生涯について簡単にご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
① 樋口一葉が小説を書き始めたきっかけはお金だった
② 作家としてこれからという時に肺結核で早世した
③ 恋愛・結婚にまつわるエピソードが多い
こちらのサイトでは、他にも明治時代に活躍した人物についてわかりやすく書いています。
より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね!
関連記事 >>>> 「樋口一葉がお札に選ばれた理由とは?本人はお金に苦労していた」
関連記事 >>>> 「樋口一葉の死因になった肺結核とは?日本では明治時代から大流行」
その他の人物はこちら
関連記事 >>>> 「【明治時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
楽しめる
コメントありがとうございます!
うれしいです。励みになります。