後鳥羽上皇の流れた地“隠岐”~「承久の乱」のその後~

 

皇家復権を賭けて承久の乱をおこし、無念にも敗れた後鳥羽上皇

その後、流されたのが日本海のまっただ中に浮かぶ隠岐の島。

後鳥羽上皇は大海原(おおうなばら)の潮風薫(かお)る隠岐の島でどのような残りの人生を送ったのでしょうか。

 

我こそは隠岐の新島守!

源3代将軍実朝(さねとも)が突然おそわれ、暗殺されるという悲劇がありました。

実朝をおそった甥(おい。お父さんの弟の息子)の公暁(くぎょう)も鎌倉幕府によって誅殺され、源氏宗家は滅亡。

もともと文武にすぐれ、気力に満ちあふれていた後鳥羽上皇はこの一時に賭(か)けます。

しかし、幕府を頂点とした武家らの結束は思いのほかに堅く、完敗してしまいます。

幕府は19万という大軍をもって京都に入ります。

さすがの後鳥羽上皇ももはやどうしようもなく、隠岐への島流しを受け入れます。

息子の順徳上皇や土御門上皇らもそれぞれ流刑の地へ全国バラバラに。

さぞや無念であったでしょう。

が、そこはさすがの後鳥羽上皇。

こちらで得意の和歌を、なんと700首近くも作りあげました。

有名な歌はこちら。

「我こそは 新島守よ 隠岐の海の 荒き波風 心して吹け」

(私こそはこの島の新たな守り人だ。隠岐の海の荒い波風よ。島のために心を込めて吹けよ)

 

刀剣に託した思い

また、こちらでは後鳥羽上皇、刀剣に強い関心をよせておりました。

実は後鳥羽上皇。

草薙剣(くさなぎのつるぎ。※)無しで天皇に即位しなければならなかったのです。

あの“壇ノ浦の戦い”(源平合戦最終局面。1185年平家滅亡)で失われてしまっていたのです。

三種の神器(天皇家伝来の剣・鏡・まがたま)」なしで即位した天皇はそれまでほかに知りません。

そして、結果として天皇家を大いに苦しくしてしまったあの大敗北……。

この地で刀を作っていたのも、やはり、なにかこみあげてくるものがあったからなのでしょうか。

延応元年2月にて崩御(天皇やそれに準じる地位の方が亡くなること)。

享年満58才

最後までの18年をこの地で過ごしました。

(※)神話の英雄スサノオノミコトが八岐大蛇(やまたのおろち)をやっつけた時に、その怪物のしっぽから出てきました。古来、天皇の正当性を示す「三種の神器」の一つ

 

後鳥羽上皇の祟り

後鳥羽上皇は亡くなる間際、こんな言葉を残しております。

「万が一。この世でなしとげられなかった無念な思いにつられ、魔物になってしまうかもしれない。そして、私の子孫が天下を取ることがあれば、それはすべて私の力によるものだ。そうなった場合は私が菩提(ぼだい)をとむらうように」

日本では古来、立場のえらい人が非業の死をとげると、“怨霊”になる、という信仰がありました。

有名なところでは、長屋王、早良親王(さわらしんのう)、菅原道真、平将門(たいらのまさかど)、崇徳上皇、……。

長屋王は奈良時代藤原四兄弟にハメられて追い落とされ、王の死後、四兄弟もなぜかあっけなく病死。祟りだと恐れられました。

早良親王の祟りは平安京遷都の原因と言われております。

菅原道真は大宰府に左遷されて無念のうちに亡くなり、たちまち天変地異が立て続いたので、「天神様」としてまつり、祟りを鎮めるようにいたしました。

平将門は関東に独立王国を夢見ましたが、朝廷に鎮圧され、今も東京の「神田明神」としてとても畏れられております。

崇徳上皇は保元の乱に敗れ、祟って天皇家の支配を終わらせたといわれます。

後鳥羽上皇も「こうなってしまうかもしれない」という思いがあったのでしょう。

間もなくして、これらの人たちが追うように相次いで亡くなります。

三浦義村……承久の乱の時、後鳥羽上皇からの決起を断り、幕府執権北条義時にこのことを知らせました。幕府宿老となります。

北条時房……承久の乱の時は東海道を攻め上ります。初代六波羅探題南方。

四条天皇……後鳥羽上皇が亡くなった時の天皇(※)。

やはり、 “祟り”の声がどこからと知れず上がりました。

(※)後鳥羽上皇直系ではありません。「承久の乱」で後鳥羽上皇直系は天皇位をうばわれ、以来就けないままとなっておりました。四条天皇の崩御と同時に四条天皇の血脈は絶え、その跡を後鳥羽上皇の孫、後嵯峨天皇が継ぎます。以後今にいたるまで後嵯峨天皇の系統が天皇位をずっと保ち続けております。

 

きょうのまとめ

後鳥羽上皇が住んでいた隠岐神社。

そして、ゆかりの品々がたくさん展示された海士町(あまちょう)後鳥羽院資料館。

はかなくも夢破れ流れてきたやんごとなき(ものすごく身分の高い)人々の心に寄り添い、慕う、優しい心。

風はそよぎます。

① 後鳥羽上皇は隠岐に島流し後もいっぱい歌を作った

② 後鳥羽上皇は隠岐に島流し後も刀剣製作に力を入れた

③ 後鳥羽上皇は隠岐で亡くなった後、その怨霊が恐れられた

地獄の閻魔(えんま)の使いという“小野篁(おののたかむら)”、南朝の指導者“後醍醐天皇”もこちらに流された人たちです。

 

後鳥羽上皇の【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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