“和歌の天才”後鳥羽上皇と『百人一首』にまつわる人間模様

 

和歌にとても優れたといわれる後鳥羽上皇

ちょうどこのころ選定されたのが“小倉百人一首”。

今ではお正月の「かるた」としてすっかりなじんでいるアレです。

今回は後鳥羽上皇と百人一首の関係をすばらしい和歌とともに追ってゆきましょう。

 

後鳥羽上皇

「人もをし 人も恨(うら)めし あぢきなく 世を思ふ故(ゆゑ)に もの思ふ身は」

(人を「いとしい」「うらめしい」と思うのは 世を「つまらない」と思うからだ)

“承久の乱”へと近づきつつあったころに詠まれた歌です。

すでに幕府とはギスギスしだしておりました。

後鳥羽上皇はとても和歌への造詣(ぞうけい)が深い人。

日本三大和歌集の一つ『新古今和歌集』を編纂(へんさん)させたとしても知られております。

 

順徳上皇

百敷(ももしき)や

『百人一首』は1番の天智天皇から始まりますが、後鳥羽上皇の歌は99番です。

では、最後の100番はだれかというと後鳥羽上皇の息子順徳上皇です。

「百敷(ももしき)や 古(ふる)き軒端(のきば)の しのぶにも 猶(なほ)あまりある 昔(むかし)なりけり 」

(宮の古い建物の端を思うにつけてもなおあまりあるよ。むかしになったなあ。)

当時はすでに鎌倉時代。

武家が世を支配しておりました。

まだ“承久の乱”は起こっておりませんが、順徳上皇はかつての朝廷中心の世を思い、はかなんだようです。

百敷とは天皇の宮殿のことです。

辞世の句

そして、この順徳上皇。

あの“承久の乱”にいっしょに責任を取らされ、佐渡島へと流されます。

この人は島に21年にて崩御(ほうぎょ。天皇やそれに準じる人が亡くなること)。

こちらが辞世の歌です。

「思いきや 雲の上をば 余所(よそ)に見て 真野(※)の入り江にて 朽ち果てむとは」

(雲の上を人ごとのように見て思った。真野の入り江に朽ち果ててしまうとは)

(※)佐渡ヶ島の西岸部にある土地

 

『百人秀歌』のナゾ

『百人秀歌』に載ってない人

『百人一首』はよくなじみでしょうが、『百人秀歌』という歌集を知っていますか。

載せている歌はほとんどいっしょです。

編纂された時期はいまだ正確にわかっておりませんが、これもほとんど同じ。

ただ、そのほんのちょっとのちがいにいささか気になるところがあるんです。

『百人一首』には載ってるのに、『百人秀歌』に載ってない人

2人だけいるんです。

ズバリだれだと思います。

なんと……。

〇ィズニーじゃない!

後鳥羽上皇順徳上皇なんです。

替わりに一条院皇后宮権中納言国信(ごんのちゅうなごんくにのぶ)、権中納言長方(ながかた)、の3名が入選しております。

『百人』じゃないじゃん!

まさかこの数字は〇ィズニーを意識したものだなんて思ってないですよねダルメシアン。

ありえませんワン!(意味はわからなくてまったく問題ありません。どうしても気になった人はこちら※)

じゃあ、なんで?

ごめんなさい。不明です。

いや、その前に……。

後鳥羽上皇と順徳上皇がいないって。

においません……?(これは……「承久の乱」のにおいでしょうか?)

(※)100+1の数字を検索してください。とてもかわいいファンタジー映画シリーズです。

 

『百人一首』の選者

私が編纂しました

これら『百人一首』と『百人秀歌』。

編纂したのはだれだと思いますか。

両方とも同じ選者です。

この時代を代表する歌人。

ズバリ。

勘当されました

藤原定家(ていか。さだいえ)です。

定家のお父さんは藤原俊成(しゅんぜい)。

こちらも大変な和歌の上手で、後鳥羽上皇のお師匠さんです。

後鳥羽上皇は定家の和歌の腕もしっかりと認めております。

が、天才同士の“方向性のちがい”でしょうか。

だんだんおたがいがゆるせなくなってゆきます。

とうとう後鳥羽上皇。

怒りをおさえがたくなってしまって定家と勘当(絶交すること)!

その後、後鳥羽上皇は“承久の乱”に敗れ、2人はもう二度と現世で会うことは無くなりました。

来ぬ人をまつ

ちなみにこちらが『百人一首』に選定されている定家の歌です。

「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩(もしお)の 身もこがれつつ」

(来ないあの人を、松帆の浦の夕なぎに、焼いている塩のように、身もこがれます)

まつほの浦の「まつほ」は「待つ」とかけております。

また、この“焼いている塩”というのは、むかし海辺でよく行われていた「塩焼き」のことです。

海水を炊いて、塩を作るのですね。

舞台は淡路島。

自分が女性になったつもりで切なく詠みあげております。

きょうのまとめ

① 『百人一首』に選定された後鳥羽上皇の99番の歌は“承久の乱”も間近のころに詠まれたもの

② 順徳上皇は『百人一首』に選定された100番の歌で、朝廷のおとろえをはかなんでいる

③ 藤原定家は後鳥羽上皇とならぶ和歌の天才だが、二人はケンカ別れしてしまった

 

後鳥羽上皇の【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「後鳥羽上皇はどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 










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