出典『ルネッサンスの女王エリザベス~肖像画と権力~』著・石井美樹子/朝日新聞社」
1558年、イングランド女王の戴冠式(君主として初めて冠をかぶる儀式)で、国民らに語りかけた言葉です。
国と結婚し、一生独身をつらぬいた処女王(ヴァージン・クイーン)エリザベス1世。
そんな彼女だってまったく男性を愛さなかったわけではありません。
最愛の恋人ロバート・ダドリーとのエピソード選です。
タップでお好きな項目へ:目次
エリザベス1世と恋人ロバート・ダドリーの共通点
エリザベス1世は身の回りにたくさんの美男子たちを仕えさせ、彼らとしばしば恋仲のようになりました。
ただ、そんな中にあってもエリザベス1世が一生の中で特別愛情をかけたといわれるのがこの人。
レスター伯ロバート・ダドリーです。
なんとこの二人、生年月日がまったく同じです。
1537年9月7日。
そして、運命はこれだけではありません。
まだ即位する前のエリザベス1世は異母姉の女王メアリによって当時起こっていた「反乱に関係している」ことを疑われ、ロンドン塔にとじこめられてしまうことがありました。
ロンドン塔とはロンドンにある要塞であり、牢屋です。
ここにとじこめられて、そのまま処刑されてしまう人がたくさんいました。
当時、エリザベス1世は20才。
そんな中での2カ月間、どんな気持ちで過ごしたのでしょうか。
そして、ロバート・ダドリーも実は同じころ、このロンドン塔にとじこめられております。
こちらはロバート・ダドリーの父親が政権争いに敗れ失脚。
ロバートもその責任をかぶらされた、というわけです。
同じ苦しみをわかりあえる絆というのは力強いですね。
親密になる二人
エリザベス1世は女王に即位すると、早速おさななじみのロバート・ダドリーを身辺警護の役職に任命します。
エリザベス1世はロバート・ダドリーといっしょに毎日のように乗馬を楽しみます。
そしてこのころ、エリザベス1世はいろんな国の王族などから結婚話が持ち上がりました。
が、それらをみんな無しにしてしまったのは、ひとえにロバード・ダドリーとの仲があったからではないか、とも言われております。
疑惑の事件
ロバート・ダドリーにはエイミーという奥さんがおりました。
ところが、突然自宅の階段から落ちて亡くなってしまいます。
すると、怪しまれたのがロバート・ダドリー。
前々からエリザベス1世と結婚したがっていることはみんなに知られておりました。
エリザベス1世も女王として、「前の奥さんを殺した疑いのある男」と結婚するわけにはいきません。
こうして、二人の結婚の可能性ははるかに遠のいてしまいました。
メアリー・スチュアートとロバート・ダドリー
エリザベス1世27才の時です。
イングランドの北どなりにスコットランドがあります。
当時、スコットランドを治めていたのは女王メアリー・スチュアート。
このころのイギリスではたくさんの女王が現れております。
メアリー・スチュアートはちょうど“おむこさん探し”をしておりました。
そこで、イングランド女王のエリザベス1世が勧めたのはなんとロバート・ダドリー。
エリザベス1世としては、スコットランドが少しでも言うことを聞きやすくなるように、ねらっていたのでしょうか。
こんなエリザベス1世ですが、スコットランドからの使者を寝室に招き、「ロバート・ダドリーの肖像画」を見せます。
使者が
「女王様に見せたいので持って帰ってもいいですか」
とたずねると、エリザベス1世は、
「ダメです。これ一つしかありませんから。」
とソッコー拒否です。
その部屋のすみにはロバート・ダドリーも居合わせております。
結局、メアリー・スチュアートの好みはロバート・ダドリーとあわず、彼以外の男と結婚することとなります。
きょうのまとめ
ロバート・ダドリーはエリザベス1世にかわいがられているのをいいことに、ちょっとごう慢な性格でみんなからはあまり好かれておりませんでした。
そして、ロバート・ダドリーが亡くなった時も悲しむものはほとんどおりませんでした。
しかし、エリザベス1世はそんな彼の最後の手紙をずっと大事にしまい続けます。
国と結婚した健気なヴァージンクイーンと言われておりますが、こういった話にどこかホッとするのは私だけでしょうか。
① エリザベス1世とロバート・ダドリーは同じ生年月日で、ともにロンドン塔にとじこめられた経験がある
② ロバート・ダドリーの奥さんが事故死したことによりロバード・ダドリーは彼女の殺害を疑われ、エリザベス1世との結婚は遠のいた
③ エリザベス1世はメアリー・スチュアートの結婚相手にロバート・ダドリーを勧めた
その他の世界の偉人ははこちらから
関連記事 >>>> 「世界の偉人一覧」
(……中略……)
子を産まないからといって責めないでください。
あなた方ひとりひとりが、わたくしの子どもなのですから。